2012年3月27日火曜日

生きづらさを感じている人達

ようやく暖かくなるのかなあ。
この前、駅伝の日、すぐる君とお話ししていた。
「今日はマラソンやっているんだよね」
「すぐる君は誰か応援してるの?」
「一番は早ええのはゲーリー選手だよ」
「ゲーリー選手?知らないなあ。これから注目しようかな」
「ゲーリーはねえ、200メートルとか早いんですよ」
「えっ、短距離も早いの?」
「ゲーリーはポルトガル人だよ」
「あっ、分かったあ。ゲーリーってボルトのことでしょ」
「そう。ボルト選手」

彼と話していると本当に楽しい。
会話って気持ちを交流するものだから、あってるとか、それは間違いとかは、
あんまり意味がないような気がする。
会話でまで教育しようとする人もいるけど、
そんな事していたら気持ちが通い合わない。
お互いに楽しい、相手を思う気持ちがあればそれでいい。

この前の日曜日のクラスは、
しんじ君としゅうへい君とさとちゃんの3人が、
おやつの時間に楽しそうに話し合っている。
さとちゃんが時々、みんなの役を決めてお芝居になったり。
この3人は10年も付き合っているから、
本当に以心伝心でお互いが分かる。
羨ましいくらいに深い関係だ。
仲間がいる、自分の場所があると言うことは素晴らしいことだ。
そのためにこの場がある。
僕達スタッフはあくまで脇役に徹して、そっと彼らの世界を見守れたらいい。

まいちゃんが凄い作品を描いた。
作品の密度が高ければ高いほど、スタッフもエネルギーを使う。
良い疲れがある。
タイトルは「夜の太陽」。タイトルもかっこいい。

2月に大阪でおこなった公演を、今原稿に纏めている。
これは会報に載ることになっている。

こうしたアトリエを開いていると、どこで知るのか敏感で傷つきやすい、
ナイーヴな人達が訪ねて来ることがある。(一般の方)
会ってお話くらいはするし、少しくらいは支えになれたらとも思う。
でも、そういう人達に立ち向かうことの必要性を話すことも多かった。
気持ちが分かるからこその愛の鞭と受け取っていただきたい。

鈍感に何も感じないように、ただ自分だけがそんをしない生き方に、
みんな慣れてしまっている。こういう生き方には共感出来ない。
出来るだけ、得すれば良かったと思っているような世界には入り込めない。
だからそういう世界になじめないナイーヴな人達には、頑張って欲しい。

大切なのは、自分の違和感を維持しつつも、
違う世界を否定したり、批判するだけの場所に逃げないことだ。
難しからといって避けない。
理解されないからといって、諦めない。
傷つくことも、もっと言うと傷つけてしまわざるをえないことも恐れない。

僕自身も無理解にさらされることも多いし、
こういう言い方もなんだけど、なめられることもよくある。
そういう時は、逆に楽しくなる。
この人がもしほんのちょっとでも変わったら面白いなあと。
否定されても、批判されても、
よし、じゃあもう少し理解出来るようにしてみるかと思う。
難しい問題が出てくるほど、どこからこの難問に挑もうかなと、面白くなってくる。

お金、権力、脅しに屈することはない。
媚びることはしない。
どれだけ力を持っている人でも、怖いとは思わない。
僕には制作の場での作家たちの方がはるかに怖い。

自分を守るために武装する必要はない。
守れば守るほど、恐怖心は強くなるだろう。
何も持たずにからっぽでいるのが一番強い。

これからは、ナイーヴな人達だけでなく、みんな生きづらい世の中になる。
何も恐れずに、裸で、素直に立ち向かっていこう。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。