ようやく暖かくなるのかなあ。
この前、駅伝の日、すぐる君とお話ししていた。
「今日はマラソンやっているんだよね」
「すぐる君は誰か応援してるの?」
「一番は早ええのはゲーリー選手だよ」
「ゲーリー選手?知らないなあ。これから注目しようかな」
「ゲーリーはねえ、200メートルとか早いんですよ」
「えっ、短距離も早いの?」
「ゲーリーはポルトガル人だよ」
「あっ、分かったあ。ゲーリーってボルトのことでしょ」
「そう。ボルト選手」
彼と話していると本当に楽しい。
会話って気持ちを交流するものだから、あってるとか、それは間違いとかは、
あんまり意味がないような気がする。
会話でまで教育しようとする人もいるけど、
そんな事していたら気持ちが通い合わない。
お互いに楽しい、相手を思う気持ちがあればそれでいい。
この前の日曜日のクラスは、
しんじ君としゅうへい君とさとちゃんの3人が、
おやつの時間に楽しそうに話し合っている。
さとちゃんが時々、みんなの役を決めてお芝居になったり。
この3人は10年も付き合っているから、
本当に以心伝心でお互いが分かる。
羨ましいくらいに深い関係だ。
仲間がいる、自分の場所があると言うことは素晴らしいことだ。
そのためにこの場がある。
僕達スタッフはあくまで脇役に徹して、そっと彼らの世界を見守れたらいい。
まいちゃんが凄い作品を描いた。
作品の密度が高ければ高いほど、スタッフもエネルギーを使う。
良い疲れがある。
タイトルは「夜の太陽」。タイトルもかっこいい。
2月に大阪でおこなった公演を、今原稿に纏めている。
これは会報に載ることになっている。
こうしたアトリエを開いていると、どこで知るのか敏感で傷つきやすい、
ナイーヴな人達が訪ねて来ることがある。(一般の方)
会ってお話くらいはするし、少しくらいは支えになれたらとも思う。
でも、そういう人達に立ち向かうことの必要性を話すことも多かった。
気持ちが分かるからこその愛の鞭と受け取っていただきたい。
鈍感に何も感じないように、ただ自分だけがそんをしない生き方に、
みんな慣れてしまっている。こういう生き方には共感出来ない。
出来るだけ、得すれば良かったと思っているような世界には入り込めない。
だからそういう世界になじめないナイーヴな人達には、頑張って欲しい。
大切なのは、自分の違和感を維持しつつも、
違う世界を否定したり、批判するだけの場所に逃げないことだ。
難しからといって避けない。
理解されないからといって、諦めない。
傷つくことも、もっと言うと傷つけてしまわざるをえないことも恐れない。
僕自身も無理解にさらされることも多いし、
こういう言い方もなんだけど、なめられることもよくある。
そういう時は、逆に楽しくなる。
この人がもしほんのちょっとでも変わったら面白いなあと。
否定されても、批判されても、
よし、じゃあもう少し理解出来るようにしてみるかと思う。
難しい問題が出てくるほど、どこからこの難問に挑もうかなと、面白くなってくる。
お金、権力、脅しに屈することはない。
媚びることはしない。
どれだけ力を持っている人でも、怖いとは思わない。
僕には制作の場での作家たちの方がはるかに怖い。
自分を守るために武装する必要はない。
守れば守るほど、恐怖心は強くなるだろう。
何も持たずにからっぽでいるのが一番強い。
これからは、ナイーヴな人達だけでなく、みんな生きづらい世の中になる。
何も恐れずに、裸で、素直に立ち向かっていこう。