2011年10月24日月曜日

著作権を考える

しばらく打ち合わせ関係が立て込んでいて、ブログの更新が出来なかった。
良い出会いもあって、仕事を進めながら、私達自身も今後の展開が楽しみだ。

土、日曜日のアトリエは、少し前から気になっていた生徒から、
やっぱり疲れが見えだしてきた。
今、少し心配している人が数名いる。
無理出来ない人達であり、保護者の方達も変化には気が付かれてもいるのだが、
かといって環境を大きく変える事も出来ないし、
例えば、作業所や職場や、学校が本人にとっての負担が大きくても、
かわりになる場がない以上どうする事も出来ないのが現状だ。
最低限、今どんな状況にあるのか、周りの人達が把握しておく必要がある。
少しでも彼らのこころの支えになり、
手助け出来るところは周囲が協力していかなければならない。

さて、今回は著作権について考えたい。
この問題はこれまでアトリエでも繰り返し議論されて来たし、
全く誤解がなかった訳ではない。
今後、彼らの作品を扱う機会も増えてくると思うので、
改めてアトリエでどのように考えて行くのか書いてみよう。

まず、障害を持つ人達の権利と保護の視点が重要になってくる。
(アトリエでは、制作において障害という視点を持たないが、出来上がった作品を管理し、扱って行く時に作家の持つ背景として障害という要素を考慮しなければ、本人を守って行く事は難しいと考える)
では、健常者の場合と、障害者の場合でどういった違いが出てくるのか。
おおまかに言うなら、障害を持っている人達の場合、長い間
作品に関してのみならず、権利が認められてこなかった。
彼らから生み出されてくるものに対して、
誰も価値をおかず、どのように扱っても良いという時代があった。

当然、その様な在り方は見直されなければならない。
そして、少しではあるが見直されつつある。
障害のある人達も、健常者と同じように権利を持つという、
平等性を実現しようとしている人達もいる。
以前、ある団体が整えた著作権のルールを読ませていただいた。
知的障害のある作家たちの著作権に関して纏めたものだ。
そこでは平等性と権利のみに論点が絞られていた。
結果、作家本人に100%の権利があり、
すべての条件を決定するのは作家自身であるというものになっていた。

一見すると正しい主張であると感じるが、
例えばダウン症の人たちと一緒にいて、
彼らのこころの在り方を見て来ている立場から見ると、実は違和感も感じる。

大事なのは契約ではなく信頼関係だ。
それでもトラブルを避けるために仕方なく契約がある。
だとするなら、疑いの要素を出来るだけ省かなければならない。
そこで単純に疑ってみると、この作家本人がすべての決定権を持つという考えは、
間に立つ人間次第でとんでもないものになりかねない。
極端な例であるとお断りしておくが、
例えば、僕だったら、本人に「この作品ちょうだい」とひとこと言えば、
みんな「あげる」と言ってくれるに決まっている。
それではどんな風に使う事も出来るはずだ。
「こういう風に使っていい?」「いいよー」
多分、それで終わりだろう。
本人が自分で決定して了解しているからいいという話であれば、
それでいい訳だ。

これでは、何も権利を認められていなかった時代とかわらない事になる。

はっきり認めなければならない事は、彼らの場合、
自分の作品を自分で守る事は出来ないという事実だ。
そこは認識しなければ、彼らを守って行くことができない。
作品の価値は、扱う人や環境次第で、良くも悪くもなる。
作品は絶えず、同じレベルで扱われなければならない。

そこに責任を持って、場や人や権利を選ぶ視点が必要となってくる。
理想は彼らの価値を真に理解し、妥協せずに統一的見解を維持出来る人なり、
団体なりが間に立って、生きている長い時間を通して作家を守って行く事だ。
勿論、保護者の方や周りの人達にも安心と信頼感を与えられる、
誠実さが必要な事は言うまでもない。

時々、障害を持っている人達の作品を売ってあげましょうと言う団体から声がかかる。
売れて、お金が入ればいいという考え方もあるのだろう。
でもどのように売られるのか、考えなければならない。
どのように伝えられ、どのように売られるのか、
それによって今後、彼らの作品がどう認識されて行くのかが決まる。
単純に言って下手な売られ方をしたり、下手な扱われ方をすれば、
作品の持つ価値は下がる。
展示にしてもイベントにしても同じだ。
扱われ方によって、すぐれた内容を持つものでも、
その程度のものかと認識されてしまう。
売れて、お金になればいいと考える方には言いたいが、
一般の人はそれほど愚かではないから、
低いレベルで扱われているものが、売れ続ける事はない。
最初は売れたとしても必ず飽きられるだろう。

どんな、機会であっても、出会いであっても私達は考える。
その企画が、彼らの可能性にとってプラスとなるのかマイナスとなるのか。
彼らの未来に何らかの良い影響を与えられるのか。
彼らの作品の世界にとって相応しいものなのか。
様々な可能性の中から、彼らを限定する事なく、
開いた価値を提示出来る仕事をしたい。

彼らの作品に対しての評価は確実に上がっているし、
彼らへの認識も、理解も変化して来ている。
私達はブレることなく、この調和の世界と文化を発信して行きたい。

実は最近、アトリエの作品の取り扱いに対しての誤解の声があったので、
次の回で具体例をあげて、この問題にお答えしたい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。