2011年10月13日木曜日

信じる力

教室だけではなく、今年は今の時期に色んな人から相談を受ける。
急に気候も変わったし、みんな疲れも出ているようだ。
こういう時期はエネルギーを使うので、僕も夜は熟睡する。
不思議に寝ればほとんど回復する。
自分を単純なつくりにしておいて本当によかったと思う。
シンプルに生きて、自分のこころの中もシンプルにしておく。
そうすると、必要な時に力が出るし、すぐに休んで回復もする。

ゆりあもイサ(関川君)も順調にアトリエに慣れて、育ちつつある。
今は特に「難しい」とか「出来ない」という感覚が強くなる時期だが、
諦めないで欲しい。
手取り足取り教えてあげたいが、そうする事は出来ない。
こちらも我慢するしかない。
こういった場に必要なセンスは、自分で見付け出すしかない。
誰も代わる事は出来ない。
諦めず、必要な努力を惜しまなかった人のみが、
より深い世界を知り、楽しい世界に出会って行ける。

今回は信じると言うことを考えたい。
ここで言う信じること、それは宗教のいう信仰ではない。
毎日、人のこころと向き合っていれば、宗教の言っている事に近い事を感じる事もある。
例えば、人間のこころの奥には、おそらく個人を超えた、
何かしら大いなるものがあって、そこにふれると、畏怖する感覚を味わう。
そういう部分を抜きには、制作や人間の創造性を考える事は出来ない。
これが宗教の言っている事なのではないか、と感じる事もある。
ただ、僕の場合はそういう次元のものに出会っても、
ただ信じて行くという訳には行かない。
具体的に日常の中で、ふれ続けて、適切に扱う事が出来なければ、
制作の手助けにはならない。
そのあたりが、宗教と似て非なるところなのだろう。
でも、例えば神聖な感覚であったり、超越的なことであったり、
祈りや瞑想の様なものは、極めて個人的で大切なものだと思う。
人に押し付ける事は絶対に出来ない。
僕自身は無宗教だが、
宗教を信じる人も、信じない人も、お互いを否定してはならない。

ここで言う信じるという事は、もっと日常の中の事だ。
ここでも繰り返し書いているテーマと関わるが、
便利はよい事なのかと言う事を思わずにいられない。
情報があふれ、選択肢が増える事で、
私達はただ、選ぶだけの存在になっていないだろうか。
選ぶ事だけに慣れて、自分でつくったり、
自分で判断する能力を失っては何の意味もない。

本当の事を言うと、私達は何かを信じなければ、一歩も前に進めないのではないか。

既にあるものの中で、選択するだけという事に慣れてしまうと、
私達はただ、よりリスクを少なくする方にだけ目がいって、疑い深くなってしまう。
今の時代は、疑う事に慣れきって、信じる力を忘れている。

先日、テレビ局の方とお話ししていた中で(よし子ブログで書かれている方とは違います)、信じて来たものの崩壊と言う話題になった。
例えば、震災によってこれまで信じられて来た価値が崩壊したと言える。
ある年配の編集者の方も同じ事を仰っていた。
自分達がつくりあげて来た、物質的な価値が、ある意味で、
原発の事故のような悲劇を生んだと。
これからどうすれば良いのかという話になった。

考えさせられる事だが、信じて来た価値観が崩壊するよりも、
もっと悲劇的な事がある。
信じるべき何者も持たないと言う、現代の風潮だ。
日本の歴史を考えると、敗戦によって大きく信じるものが壊れただろう。
その後、復興と言うことで、物質的価値を信じ、つくりあげて来た文明が、
今回の様な悲劇を前にして、大きく覆されたと言える。
勿論、物質的価値のみが人間の価値と考えて来た事は間違いに決まっている。

ただ、信じること、信じた事がはたして無意味だったのだろうか。
その時、その時に何かを信じる。
信じることはリスクも多い。
それを覚悟の上で信じて、行動する。
信じて来たものが間違っていたり、
その価値の有効期限が切れたと知ったら、またやり直せばいい。
前よりももっと深いものを信じてみればいい。

僕は過去を否定する気にはなれない。
間違っていた事は反省すべきだろう。
ただ、過去になんの意味もなかったと言うことはありえない。
間違いというのも、間違ってみなければ気付くことは出来ない。
間違いに気が付いて、次に進めるのは、
間違ってみる経験を経る事が出来たからだ。

今まで様々な価値を信じて来た事で、
ようやくここまで来れたのだと考えたい。

何も信じなければ、間違う事も傷つく事もないだろう。
ただし、それでは前進もない。

だから信じてみたい。
これまでとは違った価値や、文化を創ることが出来ると。
私達がこれから信じて行くべきなのは、
人と人のこころが繋がり、自然や環境と調和した文化だ。
人間のこころの可能性を信じよう。
いついかなる時も、乗り越えて、より良い関係と環境を創る、
人間の内面の力を信じよう。
私達には、まだまだ見た事も、試した事もない、
未知の力が潜んでいるはずだ。
信じて、そこを開拓して行こう。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。