ここで言う経験とは、場数を踏む事で失敗しないようになるとか、
仕事が出来るようになると言う様な「経験」ではない。
もっと日常的なものも含めて、あの時、幸せだったなあとか、
そういうささやかな記憶が、人生を豊かにしていると言うことだ。
思い出と言ってしまってもいいのだが、
そうするとあまりにも過去によって今を生きている感じになる。
経験は決して過去のものではない。
今、ここにあってふれることも、対話する事も出来るものだ。
ダウン症の人たちと一緒にいると、
彼らが楽しかった経験を語る場面の多さに驚く。
「あの時は、××ちゃんと××くんがいたよね。みんなで××したよね」
「たのしかったね」
そんな場面をずっとふりかえっている日もある。
何気ない一場面が幸福な記憶となって、その場を満たす。
僕自身一緒に過ごしていて、忘れてしまっている様なことを、
彼らは懐かしそうに、目に見えるように言葉で描いて行く。
そうだった、あの時あんなだったと思うと同時に、
そうか、彼にはそんな風に見えていたのかと新鮮に感じる。
きれいなものに出会ったこと、美味しいものを食べたこと、
仲間と楽しく遊んだこと、そんな記憶が、
過去ではなく今も目の前にあるように、思い出せる彼らを、
本当に豊かな人達だと思う。
人は経験によってつくられる。
そして経験によって生かされる。
彼らを見ていて、時々、あっと思う事がある。
例えば、少し重い話かも知れないが、
彼らの死生観とでも言う様なものにも特色がある。
身近な人の死に直面して、彼らが意外とあっさりしている場面に出会うこともある。
「死んじゃったよ」
「天国行ったよ」
「お空にいって、みんなを見てるよ」
と結構、冷静に話してくれる事がある。
(勿論、個人差はある。人の死によって落ち込んだり、悲しみから調子を崩す人もいる。ここでは、こういう場合が多いという話のみを書いている)
彼らには深い愛情があることは確かだ。
亡くなった人達と、深い関係を持っていたことも確かだ。
それでも彼らは、あっさりと事実を受け入れている。
これには、2つの理由が考えられる。
1つは、以前に震災後の彼らの制作においてのブレなさを書いたが、
そのことと繋がる。
確かに地震が怖くて、その後も思い出す度に不安になっていた。
それでも絵を描き出したとたんに、調和的センスに戻って行く。
こころの深い部分にすぐに入って行ける。
つまり、彼らのすぐれているところは、
自分のこころの中にある、自分を超えた自然界のリズムとでも呼ぶべきものに、
すぐに、たちかえることが出来るところだ。
以前も書いたが、人間のこころの中にも自然界の法則の様なものがある。
自然の中では人類すらちっぽけなものにすぎない。
そういう大いなる感覚を持つことは、とても大切だ。
もう1つの理由。
彼らは、人の死によって、その人との関係が切れることはない。
彼らは深い関係性や繋がりをこそ生きている。
亡くなった人との関係は、生きていた頃のものと変わらないほどのものだ。
愛された記憶、一緒にいた記憶は、彼らにとって過去のものではない。
彼らは亡くなった人達を思う時間を大切にしている。
本当に鮮やかにその人と過ごした日々を描いてみせる。
そして、時に死者と対話するような場面をみかける。
彼らを見ていて、
愛情や、想いや、経験は残していけるものだと気が付く。
他にも「バイバイ」とか「さようなら」が言えなかったり、
言いたくないという人も多い。
これは、さみしいからイヤとか恥ずかしいというのもあるが、
場所を離れることで、気持ちも離れるという感覚がないと言うことでもある。
作品においてもそうだが、
彼らは繋がりの中にいて、区切るということは苦手だ。
これも何度も書いて来たが、本物と偽物やまがいものの違いを知らなければならない。
ここで書いて来た流れで言うと、本物とは後に残るものだ。
本物の経験は残る。
愛された経験がなければ、人を愛することは出来ない。
きれいなものを知らなければ、きれいなものは生み出せない。
良いものにふれること、良い経験を重ねること。
そうすれば、自然に調和の中に入って行く。
生きている意味が感じられないなら、本当の経験を知らないからだ。
人間は後になって、その経験の意味を知ることが多い。
その時、その場では分からなかったことが、後になって自分を支えてくれたり、
生かしてくれたりする。
何がおきるか分からない世の中だ。
僕達だって、いつ死ぬのか分からない。
精一杯、生きれば、いつ何がおきても、幸せだったと感じられる。
そういう本当の経験を持たないのは勿体ない。
贈り物として与えられた命は、味わい尽くさなければならない。
良いものを知って、愛情を一杯うけて、
そうすると自然に、人のために与える人間になる。
誰かや何かのために自分を使う喜びをおぼえる。
あらゆる瞬間を大切にしたい。
せつなくなる位に、人や世界を愛していこう。