2015年9月16日水曜日

金木犀

夕方から静かに雨が降っている。
みんな疲れは出ているからゆったりと過ごしたい。
今日は静寂な一日。

外へ出るともう金木犀の香り。

今年になってから亡くなった人達が頭を過ったり。
アトリエで音楽をかけていたけど、歌がやっぱり響いて来る。

写真家の中平卓馬さんも亡くなった。
イサ達がお世話になった。
アトリエにも一度来てくれたことを思い出す。
初対面の時、扉を開けるなり
「こんなところにあったのかあ。おれ、ずっとさがしてたんだよ」
と言ったこと。
その言葉はこのアトリエの場がどんなものなのかを感じさせる。

誰しもにとってそんな場でありたいと思う。

綾戸智絵の歌にぐっと来て、何か救われるような感じがあった。
人に希望と勇気を与えるもの。
何か救いのようなものを、肯定を、
生きていること、世界とか人間を、やっぱり良いな、と思わせてくれるもの。
そういうものしか美とは呼べないと思うし、
そういう感動を与えられるもののみ仕事と言える。

僕達の現場とは、中へ深く入った時、誰もが肯定される瞬間を目指すもの。

以前このブログを読んで下さった方からメールを頂いた。
深いところから、人間はみんなどこかで救われている、
大丈夫なんだ、と思えて涙が溢れてきた、と。
困難で辛い現状の中でも精一杯大切に生きて来られた方なのだろう。

場の中でもそうだけど、そういう視点が少しでも、
人の中に入って、ちょっとでも余裕が生まれたり、
楽になったり、ほんの少しでも、
こころの中でそんな場所があることを感じて貰えたら、どんなに嬉しいことか。

いつも一緒に居て、作家の中でも特に透明感の強い人は、
ふわっと浮いているような感覚で、その言葉は一体何処から来たのだろう、
と思うようなことを言ったりする。
その瞬間、ふっと場自体が軽くなって、宇宙に漂っているような感覚になる。

絵の中での景色が全て上の方から眺められた構図になっている作家もいる。
それから、地球をやっぱり上から見た感じに描いている作家もいる。

場に立っていて、みんなと一緒にふっと、そんな場所に居ることがある。

とても柔らかくて、すーっと透明で、何処までも軽い。
この世で起きていることは全部、仮の姿で、この場から見えるように、
僕達はみんな守られている、みんな、どんなこともそのままで良いのだ、
と、そんな風に思えたり見えたりする瞬間。

実際の僕達が生きている世界では、やっぱり辛いことの連続だし、
本当にままならないけど、
そんな中でちょっとでもその景色を思い出すことが出来たら、
感じることが出来たら。
全てが良い悪いだけで決められた世界に生きていて、
全部どちらの要素もあるよ、本当には否定出来るものは一つもないかも知れない、
と思えれば、もっと争いは減って行くだろう。
もっと人に優しくなれるだろう。

深いところで見えてくる世界で、例えひと時であっても、
僕達は知ることが出来る。見ることが出来る。
本当にみんなが居る場所があって、全部があって、
何一つ否定されないで、そこはずっとずっとあるのだと。

この人生の中でそんな風に感じられる瞬間をどれだけ増やすことが出来るか。

場はその人の中に生き続ける。

このブログでもそんな景色を少しでも感じて頂ければ、と思う。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。