空もずいぶん高くなった。
夏は遠く行ってしまった。
夕方から聴こえてくる虫の音。
透明な光。
信州に居た頃はよく、田んぼのあぜ道から夕日を見た。
怒濤のごとく過ぎ去った日々。
平日のクラスでは、この時期は割と静かに過ごしていて、
みんなの穏やかな表情が掛け替えのない時間を写す。
作家達の生きている世界では、今と言うものが全身で感じられている。
そんな風に僕らも生きてみること。
今と言う時間を、そこで起きていることを、
しっかりと、そして深く、よーく見て行こう。
いずれ全ては過ぎ去る。
去って行った時にしか見えて来ないものがあり、
むしろそちらの方が大きいことを知っているから。
皮膚がヒリヒリと痛みを感じるような、
そんな切実な実感の中で生きていたい。
例え傷つき、疲れ、失望しようと。
絶望しないために希望を抱かないのは、つまらないこと。
別れの切なさから出会いを避けるなんて、それでは何故ここに居るのだろう。
深く深く向き合う程、喜びも悲しみも大きくなるものだ。
どんなものであれ、そこにあるものを愛して、よく見る。生きる。
僕達はずっと途上にいて、あるもの全てが仮のもので、
今こんな風に掛け替えのない輝きの中にいるのだから。
そしてそれら全ては消えて行った時に本当に生きてくるのだから。
大切なものが目の前にあり、それを噛み締めて、その流れの中に深くあること。
僕らは制作の場と時間の中でそんなことを学んで来た。
最も透明になる瞬間、場はこの世の全てを見せてくれる。
自分から離れて、全てが見渡せる場所に立たせてくれる。
遥か彼方からこの世界を見つめる視線。
そこから見たとき、これまでよく見て、よく生きた現実は全て今でも輝いている。
そこから見た時、存在する全てが透明に輝く。
どの時間もどの空間も、あらゆる場所と瞬間がその場に同時にあり、
同時に動いている。
僕達はみんな今ここにいて、この世界を生きていると同時に、
遥か彼方に立っている。
だから、辛いことも悲しいことも含めて、
深く向き合って深く生きて行こう。
決して明るくないこの現実の中で、それでも目を背けず、
何が起きているのかよく見ていよう。
自分のいる場所とそこに居てくれる人達を大切にしよう。
一度しかない時間の中に居るのだから。