2013年5月8日水曜日

制作空間から見えるもの

暑くなってきた。
よい天気で鳥の声もよく聴こえる。
よし子とゆうたも無事、三重へ帰った。

一人の夜は本当に静かだ。

平日のクラスはイサ、あきこさん、稲垣君がいてにぎやか。
僕は制作の場以外の仕事が増えてきた。

ボランティアをしてくれているあきこさんも、
旦那さんの転勤があって夏にはお別れだ。
でも、何らかの形で繋がって行きたい。

よしこがパソコンの画面をゆうたと僕の写真にしてくれていた。
かわいいなあ。本当はずっとずっと一緒にいたい。

普段、作品だけでは見えない世界を語ってみよう。
例えば、出来上がった作品は美しいけれど、
さとし君やゆすけ君の作品とか(特にさとし君の作品は)、
絵の具が乾く前の色にこそ神髄がある。
残念ながらその色彩は人に見てもらうことが出来ない。

このあたりは微妙で、そこを見てしまっていると、
あの状態の作品が忘れられない。
それに彼らが本当に見ている色に近いのは、絵の具が乾く前の状態だ。

乾燥して時間を経ても変わらないものと、かなり質が変わってしまうものがある。

それに、そこまで考えてしまうと、
もっともっと美しいのは、作品になる前のこころから色が始まるところだ。
線や形がまだ出来上がる前の、どんなところにでも行ける無限の柔らかな空間。
そこから光が溢れ出て来るように、色が色を呼び、変化が次の変化を呼ぶ。
形にならない光と色が戯れ合って、無限が形へ向かって行く。
どの瞬間にも調和がある。
その情景がもっとも素晴らしいと言える。
この場面は制作の場以外では見られない。

勿論、絵として完成された一枚に、その秘跡は宿っているのだけど。

僕達が生きていることも、何かを実行することもそういうことで、
形になって見える前のまだ、どんな形にもなりうる柔らかな無限のような、
そんなこころの動きが一番面白い。

現実は一つで、何処までも形は固定されていると思い込んでいるけれど、
本当はもっとやわらかく、どんな風に見ることも、
どんな風に触れることも可能なのだいうことを忘れないでいよう。

今、僕達が生きている世界は、僕達がそのように解釈した世界だ。

絵を描く、というこころの動きを見ていると、
縛られないで、解放された状態でいる時に、
どんなに美しい世界が見えるのかが分かる。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。