暑くなってきた。
よい天気で鳥の声もよく聴こえる。
よし子とゆうたも無事、三重へ帰った。
一人の夜は本当に静かだ。
平日のクラスはイサ、あきこさん、稲垣君がいてにぎやか。
僕は制作の場以外の仕事が増えてきた。
ボランティアをしてくれているあきこさんも、
旦那さんの転勤があって夏にはお別れだ。
でも、何らかの形で繋がって行きたい。
よしこがパソコンの画面をゆうたと僕の写真にしてくれていた。
かわいいなあ。本当はずっとずっと一緒にいたい。
普段、作品だけでは見えない世界を語ってみよう。
例えば、出来上がった作品は美しいけれど、
さとし君やゆすけ君の作品とか(特にさとし君の作品は)、
絵の具が乾く前の色にこそ神髄がある。
残念ながらその色彩は人に見てもらうことが出来ない。
このあたりは微妙で、そこを見てしまっていると、
あの状態の作品が忘れられない。
それに彼らが本当に見ている色に近いのは、絵の具が乾く前の状態だ。
乾燥して時間を経ても変わらないものと、かなり質が変わってしまうものがある。
それに、そこまで考えてしまうと、
もっともっと美しいのは、作品になる前のこころから色が始まるところだ。
線や形がまだ出来上がる前の、どんなところにでも行ける無限の柔らかな空間。
そこから光が溢れ出て来るように、色が色を呼び、変化が次の変化を呼ぶ。
形にならない光と色が戯れ合って、無限が形へ向かって行く。
どの瞬間にも調和がある。
その情景がもっとも素晴らしいと言える。
この場面は制作の場以外では見られない。
勿論、絵として完成された一枚に、その秘跡は宿っているのだけど。
僕達が生きていることも、何かを実行することもそういうことで、
形になって見える前のまだ、どんな形にもなりうる柔らかな無限のような、
そんなこころの動きが一番面白い。
現実は一つで、何処までも形は固定されていると思い込んでいるけれど、
本当はもっとやわらかく、どんな風に見ることも、
どんな風に触れることも可能なのだいうことを忘れないでいよう。
今、僕達が生きている世界は、僕達がそのように解釈した世界だ。
絵を描く、というこころの動きを見ていると、
縛られないで、解放された状態でいる時に、
どんなに美しい世界が見えるのかが分かる。