2012年7月25日水曜日

難しいことなんて何もない

昨日の早朝、モロちゃんからメールがきた。
「ミラノへ行ってきます」という内容だった。
モロちゃんがイタリアに憧れていた話は、
アトリエで彼女がいきいきと話していた。
帰って来てもすぐにソウルだという。
出張直前に連絡をくれたことは本当に嬉しい。
本当に頑張って欲しい、と言うより一緒に頑張りたい。

イサからもメールがきた。夏、会いたいと。

元学生チームのみんなが、このアトリエでの経験を大切にして生きていること、
信頼してくれていることが何より嬉しい。
僕達はいつでもつながっている。

大人である彼らに、こんな言い方も失礼なのだが、
僕にとってはゆりあやイサやモロちゃんや赤嶺ちゃんや、エクセルや、
みんなのことが可愛くてしかたない。
かわいいといっても、上から見ている訳ではない。
時には10才も歳が離れている僕の方が子供のようになって、
彼らに助けられることも多い。
「佐久間さん、それ出来ないから」と、何でも言ってくれるし。
僕達はそんな関係だ。
彼らが居なかったら、僕もよし子ももっと孤独だったと思う。

今、毎日午前だけ夏のアトリエを開いている。
初めての人を見ることもある。
最初のきっかけは本当に大切だ。
作品を見ていて、もしこの場面で他の人が見ていたらどうなったかなとか、
ここをはずしちゃったら、その後、時間が凄くかかるなとか、
これ逃したら「描く」というモードをおぼえることなく終わるかもとか、
様々な場面に立ち会う。
僕自身はたいして何かが出来る訳ではないのだが、
それでもこんな場面があるので、なかなか人に任せられないなあと思う。
外でゆがめられた作品にふれると、
僕が関わっていれば良かったと感じなくはない。

何度もことわるまでもなく、僕が何かの能力があるという訳では勿論ない。
そうではなく、分かっておくべきことはあるということだ。

作品を引き出す場面で(引き出すという言葉も、強引なものなので実際にはそぐわないのだが)僕が難しさを感じることはない。
すべては単純で簡単で自然なことだ。

前回、素直さについて書いたが、そこと通じると思うのだ。
困難や限界は、ほとんどの場合、自分でつくっている。

最近でも仕事や生き方に行きづまった方がアトリエに来る。
スッキリして帰って行かれる方も多いが、
なぜそんなことがおきるのか。

作家たちから学べることは本当に多いと思う。
迷わず悩まず、素直に生きていれば、難しさは感じない。
大切なのはありのままであることだ。

この環境の中でだけなら、それも出来るけど、と思われる方が居たらそれは違う。
ここで出来れば他でも出来る。
だから、ここで何かしら学んだ人が良い生き方が出来たらいい。

本当は難しことなんて何にもない。
ただ、感じたままに動けばいい。
みんな小さな頃から、親や先生や大人から、
「よく考えなさい」みたいなことを言われ続けている。
だから、難しくなってしまった。
考えることなんて本当はなんの役にも立たない。
考えないで動ける方がよっぽど立派だ。
考えないで感じること、身体で反応することが何より大事だ。

2012年7月21日土曜日

素直に

急激に気温が下がって今は寒い位だ。

アトリエのこと、活動のこと、作家たちのこと、
関係性のこと、場のこと、色々書いてきた。
一言で言うと生き方、在り方こそが問題なのだと思う。

育てる、とか教育ということでも、自分の生き方が反映される。
仕事も無論。

ダウン症の人たちの感性や、在り方を考えること、
一緒に何かをすること、このアトリエでの実践も、
結局のところは、私達はどのように生きるべきなのかという問題に収斂される。

アトリエで色んな人に会う。
活動を伝える為に外でも様々な場所に出る。
そこでも色んな人と出会う。たくさんの人達をみてきた。

そして、制作の場に入ると、そこには人間の内面ばかりでなく、
関係性や社会や生き方の縮図がある。

場に入り、場を良くすることは5人いれば、
5人ともが同じ使命として感じていなければならない。
場に入った以上、良くすることが与えられた役割であり条件だ。
これは作家やスタッフだけでなく、お客さんもそうだし、
絵から何かを感じようとする人達も一緒だ。

それはまさしく人生だ。
生まれて来た以上、少しでもこの世界を良くしなければならない。
自分がここにいる、ということはこの場を良くすることを意味するべきだ。

良い意味で場において力を持つ人がいる。
場を良く出来る人が。
見学者でも作家でもスタッフでも、そこに居る人が全員場を創っている。
僕は時々「現場力」と呼ぶこともある。
本当の意味で現場力のある人は100人に1人もいない。

でも、現場力のある人を見ていると分かるが、共通する条件がある。
これも簡単に言おう。
現場力のある人間とは素直な人間だ。

何も怖がらず、恥じず、隠さない素直さ。
感覚や感性がここでの重要なテーマだったが、
感覚や感性は素直になった時に動き出す。
人間や生物の根本に「快」「不快」があると言ったが、
この快、不快が敏感に分かるのも素直な心と身体があればこそ。

素直であれば何でも出来る。
素直であれば限界もない。

場に入るとそのことが良く分かる。
いつもいつも、より素直になるために「場」があるのかも知れない。

ここへ来る学生達も素直になることを学んでいると思う。
素直になった時にその人本来の能力が発揮される。

素直さがいかに力であり、いかに強いものであるのか、
僕は20年近くも感じ続けている。

人類はもう一度素直さを取り戻せるだろうか。
そんな大それたテーマはいいとして、
せめてここで関わった人達が少しでも素直な気持ちを自覚出来るような、
場づくりをしたい。素直な良い人間がたくさん育っていく。
そんな場所にしていきたい。

2012年7月18日水曜日

夏休み前

さて、平日のクラスは夏休み前の最後の日だ。

今年は夏講座も7月中の午前中にしかできなかった。
来年こそはと思う。
8月は色々とお仕事が入ってしまう。

先日の保護者会でもお話ししたが、いよいよ、
よし子と悠太は東京を離れる準備に入る。
今は寂しいけれどしかたがない。

今後は東京と三重でより連携して良い活動にしていきたい。
環境を創っていくのに、先発隊が必要だ。
よし子は悠太も連れているし、手伝って下さる方が必須になってくる。

夏からの移動を考えてきたが、お世話になっている人に挨拶したり、
引き継ぎがあったりで、年内の移動となるかも知れない。

これまでのアトリエは変わらないので、参加されている方はご安心下さい。
よし子もメールでのやりとりはこのまま継続します。

東京アトリエは佐久間が責任をもってすすめていきますので、
何かあればいつでも言って下さい。
スタッフとしてゆりあもアトリエのことは何でも把握しています。

改めて、気を引き締めて、更に良くしていく意識で挑んでいきます。

これからのことは、おりにふれ書いていく。

少し前にいじめの話を書いた。
まだまだ議論が続いているようで、僕はもう書かないけど、一言だけ。
毎回書いていることだが、大人が気合いを持たなければだめだ。
気合いというのは不思議と何もしなくても伝わるものだ。
暴力の問題を扱った時も、僕は断固止める、これ以上いかせないということ、
いじめにしても何があっても認めない、許さないという態度が必要と書いた。
その場においては身体で止めるしかない。
口で厳しく叱りつけるしかない。
そのために、指導する側に嫌われたり、誤解されたり、
今の制度だと批判され職を失うこともありうるが、そういう覚悟が必要だ。
そんなことを強調して書いて来たが、
実を言うとこういう覚悟で挑んだとき、問題はほとんどおきない。
子供には大人の気合いが伝わる。

例えばどこかで話したことかも知れないが、
僕のところには暴力が止まらない人がお泊まりしにくる事がある。
突然、暴力が出たり自虐行為が始まったり、パニックになったり、
家を飛び出してどこかへ行ってしまうという人だ。
彼が一番混乱している時に家に来るわけだが、
僕は最初に覚悟を決める。いつでも何やってもいいぞ、と。
何か起これば必ず止めてみせる、という構えだ。
その上でリラックスして何事もなかったように一緒に過ごす。
不思議なことにこちらの覚悟は相手に安心感を与える。
どうなっても慌てたり混乱したりしない人がいる事は、
彼らにとっては安心につながる。
そして、何事もおきないで時間が過ぎていく。
安心して眠る。

大切なのはどんな時でも覚悟を決めておくことだ。
いじめは絶対に許さないし、くい止めるという緊張感があれば、
その意識は場所全体に伝わるものだ。
その上でどれだけ安心出来る、のびのびした空気感を出せるかだ。

人は安心した時に能力を発揮する。
安心した環境で成長する。
安心がなければすべては歪んだ形で出てくる。
人が安心して過ごせる場をつくるには、
すべてを受け入れるやさしさと同時に、
断固として間違いを認めない厳しさ強さが必要だ。
この2つは実は一体だ。

これは基本中の基本なので子供と関わる人は、
必ず身に付けていなければならない態度と言える。

そして、教育ばかりではなく、例えば僕達のアトリエの場においても、
とても重要なことだ。

2012年7月17日火曜日

みんなの場所

それにしても今日も暑い。
今日は手短に書く。

昨日は保護者会をおこなった。
お休み中の暑い中、たくさんの方に来ていただいた。

アトリエ側からのお話が長引いてしまって、
保護者の方達同士の交わりがあまり出来なかったのではないかと反省している。

こんな機会を増やして、みんなで気楽に語り合える場にしていきたい。

本当はちょっとした事でも話すことができて、
こんなことに悩んでいるとか、こんなことが楽しかったとか、
そんな中で次に何が必要なのか、みんなで共有していって、
同じ夢が抱けたら良いと思う。

僕がアトリエと関わり、よし子と自分のクラスを持った頃は、
生徒も10数人だった。
今では40名近くいるから、なかなかみなさんとゆっくりお話し出来ない。

僕自身がこれまでより外での仕事が増えていることもある。

教室をおこないながら、ずっと作家たちのことばかり見て来た。
真剣に誠実に挑んできたつもりだ。
でも、一方で保護者の方達のことをあんまり考えて来なかった気がする。
それだけ作家たちのことに夢中だった訳だけど、
そんな自分を信頼して任せて下さる方、参加して下さる方がいて、
ここまでやって来られたのだと思う。

これからは、保護者の方達も含め、関わる人みんなが幸せを感じる場にして行きたい。

改めてご報告するつもりだが、東京アトリエは新体制で次の活動に挑む。
これまでのレベルは決して落とさない。
前より良くなったと思われるものにしていきたい。

そして、新しい環境も同時に開拓していく。

保護者会でいくつかお話したことは改めて、
ブログでもプリントでも書かせていただく。

昨日はアトリエ初期の頃の方(僕が加わる前から通われている方)、
10年前よし子と2人でクラスを立ち上げた最初に参加して下さった方、
ここ数年で様々な活動をきっかけにアトリエを知り、加わって下さっている、
新しい方、それぞれが同じ割合で来て下さった。

後半、みなさんそれぞれのアトリエに対する想いを聞けたことは、
スタッフとしても嬉しかった。
改めて、みんなにとって良い場を、
作家たちにとっても保護者の方々にとっても良い場を築きたいと思った。
この場はみんなのものだ。
参加する人達がそれぞれ主役だと思っている。

2012年7月15日日曜日

豊かさ

昨日のアトリエは暑かった。
クーラーもなかなかきかない。
今日は早い時間から弱めに冷房にしておこう。

前回の話題の中で僕は豊かさという言葉を使った。
貧相という言葉も使った。
そして、それらは物質的なものではないと書いた。
では、僕が言うところの豊かさとは何か。
答えはもうすでに書いてきた。

生における立体感、リアリティ、良い経験を刻む、描写力、
色々書いて来たが、それらが私達を豊かにする。

もう一つ遊びという要素も入れておきたい。

その前に、本当は書きたくないが触れておこう。
ここ数日、滋賀県の学校でのいじめの問題が報道されている。
何をやっているのだという思いしかない。
社会も学校も親も、それぞれ問題だと思う。
いい加減になぜ、くり返すのか見直すべきだ。
こういう問題があるとその時だけ、いじめが話題となる。
しばらくすると忘れられる。
またしばらくすると、こういう問題が出てくる。
そんな事をここ数年くり返している。
いじめが起きるシステムを作り替えなければ意味がない。

色んな人が色んなことを言っているが、
本質を言うなら、いじめは大人の責任だ。
いじめがおきると言うことは、大人がいじめを許してしまっている、
と言うことだ。それにつきる。
気づかなかったと言っても、気づかないと言うことは許したも同然だ。
また、どこからがいじめなのかの判断が難しい、
という意見を教師が言っていたが、今すぐ辞職した方がいい。
そのくらい、分からないはずがない。
子供の世界に大人が関与してはいけないという、
これまた無責任な意見もある。
悪があり、その事で傷つく人間がいる時に、関与していいもいけないもない。
関与すべきだ。それしか方法はない。
大人が断固としてここは許さない、という信念がない以上、
こういったことはくり返される。

難しい問題です、ともっともらしく言っているが、
はっきり言って何にも難しくはない。
悪いものを悪いと大人がきっちり線引きして、
何があっても認めない、許さないという目線で関与する。
それで終わりだ。

そういう姿勢を関わる側が持てば、いじめは消える。

ここでは何度も「場」というものを書いてきた。
教師にとっては教室はこの場だ。
場は問題がなければそれで良い訳ではなく、
みんなで絶えず良くしていく姿勢が必要だ。
普段からそういう意識を持っていれば、いじめなどおきようがない。

僕達のアトリエではいじめや争いどころか、
何の隠し事も抑圧もない。
来る人みんなが心地良く、自由にふるまっている。
1人でもさみしい思いを抱いていたり、不快だったりすることがないように、
みんなが気持ちよく過ごせるように、一人一人が協力する。
人を喜ばせたり、人の為に何かをする事の気持ち良さが分かる、
そんな自然な場を創っている。

人が集まる時、みんながどうすれば自由に気持ち良くなれるか、
その事が、本当は最も学ぶべきことのはずだ。
人間には本能としてそのように、人や場を良くして、
みんなで調和を創る感覚が備わっている。
だから、そういう経験と記憶を小さな頃から刻み付けることだ。
これがテーマとした豊かさともつながる。
豊かさを知っていれば、いじめや争いはおきない。

以前に人間は不快を避け、快を求めると言うことを書いた。
それが答えだろう。

貧相を感じるところには「遊び」の要素がない。
豊かさには「遊び」がある。
では、遊びとは何なのか。
人間の感覚における「不快」は危険や病へ向かう要因だ。
それに対し「快」は健康や調和やバランスを意味している。
遊びとは快に向かう行為だ。
遊びには意味や目的はない。人は気持ち良いから遊ぶ。

この遊びが本当に出来るようになることが何より大切だ。
遊びはどうすれば快でどうすれば不快なのか、身体でおぼえる行為だから。
意味や目的ばかり子供に教えると、遊びの感覚が充分に養われない。
これが実はいじめや様々な問題を生んでいる。
大人の世界もそこから見直さなければならない。
意味や目的は、頭の世界だ。それだけに支配されてしまうと、
本能としての快が分からなくなる。
感覚が弱くなる。
人の痛みが分からないというのは、道徳の問題ではなく感性の問題だ。
テレビでは動物園のパンダの赤ちゃんの死に、
小さな子供が泣きじゃくる場面が映されていた。
見ていて可哀想でこちらもつらくなる。
でも、ああいう経験をしっかりしていれば、いじめをはじめとした問題はおきない。
悲しみや人の気持ちを感じとるということは、感性の問題なのだ。
感性は頭の活動を静かにしなければ動かない。
意味、目的、という頭の世界から一旦離れてとことん遊ぶこと。
それが大人にも子供にも必要なことだ。

なぜ、人は洞窟に絵を描いたのか、なぜ音楽を創ったのか、
そもそもなぜ二足歩行しだしたのか。
それはおそらく、気持ち良いから、楽しいからだと思う。
本当はここに意味や目的がある訳ではないはずだ。

アトリエへ来ても、作家たちの世界や作品になぜ、どうして、
なんの為に、という意味や目的ばかり知ろうとする人が多い。
その前にもっと感じてみたらどうだろうか。
意味も目的もなく、ただ気持ちいいから純粋に行為するという素直なこころが、
私達をこれまで生かして来たのではないだろうか。

本能はどんどん失われていく。
制作している時の作家たちのように、私達ももう一度、素直に楽しもう。
そこに大切なものや、ヒントが無限に潜んでいるのだから。

2012年7月14日土曜日

日常と非日常

夜中、ずいぶん雨が降ったが、明け方から晴れてきた。

食について書こうと思っていたが、それを考えていたらこのタイトルになった。
現代のような複雑な情報にまみれた社会にいて、
この混沌をなんとかして新しい価値を作っていくには、
衣食住を根本から見直すのが第一だと思う。
なぜ、そんな事を考えるかと言うと、
僕自身が自給自足に近い生活を経験して来たことがあるのと、
毎日ダウン症の人たちと過ごして来て、
シンプルさの素晴らしさを多くの人が忘れていると感じるからだ。

ここの作家たちの魅力は、生のシンプルさからくるものが多い。
そんな彼らと居ると、私達は無駄なものを作り過ぎているなと感じる。

そこで、人間の基本である衣食住をもっとナチュラルなものとすべきだと思う。

まずは最低限の機能を考えることで自由になれる。
でも、その上で非日常も考えるべきでは、というのが今回のテーマだ。

先日、テレビに坂口恭平という人が出ていた。
語りも上手いしキャラクターもいいので、今後どんどん出て来そうな人だった。
話が面白い。
彼は建築家のようだが、
住むという当然の事にお金がかかりすぎることがおかしいと考えた。
ホームレスの方達のもとに通い、お金をかけない住居のモデルとしたそうだ。
彼はお金がなくても家が建ち、住むことが出来ることを証明しようとしている。
それによって新しい生き方が見えてくるはずだと。
この考えに僕も基本的には賛同するし、
これから様々なジャンルで彼のような価値観をもった人が必要とされてくると思う。

ある作家との対談も見たが、考えの違いが面白かった。
その作家は坂口に対して、「もっと豊かさを知れ」というようなことを言っていた。
ここでも基本的には僕は坂口さんの方に共感する。
作家の意見はどこか古い。
世代間の違いなのかも知れない。
作家はお金が信用出来た時代を生きて来た。
坂口はその様な価値の崩壊した後を生きている。
だから、作家に対して坂口も僕ももうそんな価値観は古いんだよ、
という気持ちがある。
でも、あえて言うなら、作家の意見にも一理ある。

坂口さんの議論は終始、機能についてのみなのだ。
そこには何か豊かさが欠けている。
ただ、僕の言う豊かさとは物質的なそれではない。

確かにもう少し前から、「ささやかな日常」「何気ない日常」がブームだ。
これまで情報に洗脳されて、振り回されて来たのだから、
足下を見つめて、日常を楽しむという基本に戻る。
それは良いことだとは思うが、これにも偽物感が残るのはなぜか。

回り道はやめにしてはっきりと言おう。
今、言われている日常を大切に、の日常が貧相すぎるのだ。
勿論、ここで言う貧相さも物質の問題ではない。
あえて言うなら、人は豊かさを求めるべきだと思う。

日常を超えてみた経験がなくして「ささやかな日常」の価値が見えるだろうか。
日常とは非日常があってのものだ。
僕は日常ブームに変わりたくない人達の、慰みをみる。

例えば、デザインにしろ何にしろ、シンプルと言う逃げ方がある。
ただ豊かさが欠落しているものを機能美と言ってみたり、
日本的ミニマリズムと結びつけたりする。
でも日本の引き算の美学、削ぎ落とした美しさと、
現代のシンプルな機能美と言われているデザインは異なっている。
日本的な削ぎ落としの美とは、豊かにあるものを、あえて削るのであって、
初めから貧相なのとは違う。

日常を良い訳に変わることを恐れてはならないし、
向かっていく勇気がないからと言って、ささやかな日常などと誤摩化してはいけない。

日本には昔からハレとケという言葉がある。
ケはしきたりや礼儀、日常のことだ。ハレは祭りなど非日常のこと。
この2つがあって初めて共同体が機能すると考えられていた。
どちらかだけでは駄目だということだ。

食に関しても同じことが言える気がする。
僕はよく食に関する本を読む。
特に平松啓子さん、高橋みどりさん、高山なおみさんの文章は素敵だ。
辰巳芳子さんは次元が違っている。
食に関してはこの方が一番本質をついている。
他の方は味覚というところに重点があるが、辰巳さんだけは食イコール生命だ。
佐藤初女さんというおむすびで人のこころを癒す方もおられる。
いつか、辰巳芳子さんと佐藤初女さんが食について語り合ったら、
どんなに多くの方が救われることだろうと思う。
こんなに丁寧に慈しむように生きていらっしゃるお2人を見ると、
頭が下がり勉強になる。
食は命であり丁寧に人とつながることであると教えられる。

このお2人からは、毎日の食を疎かにしてはならない事を教えられるが、
もう一つ、食には非日常性もあると思う。
ここについてはあまり語っている人がいない。

よくこんな意見を聞く。
レストランで食べる料理や、料理人の作る料理は食の本質ではない、と。
なぜならそれは非日常なものだから、と。
僕は全くそうは思わない。
食にはもともと非日常性のようなものがあったと思うから。

それは、食だけではない芸術にも言葉にも踊りにも、恋愛にも、
非日常性がある。高揚感、恍惚感、自分を超えていく感覚が。

結局のところ、非日常性とは、自分が自分でなくなる感覚ではないだろうか。
そういう経験を持たなければ、自分はいつまでも自分のままだ。

遥か昔のことを考えてみよう。
人間は猿の仲間で雑食だった。肉は非日常だ。
肉を食べた時、どんな感覚だっただろうか。
おそらく強烈な恍惚感があったに違いない。
今よりももっともっと、動物が近くにいた時、動物と人間は兄弟のような感覚だった。
その兄弟を殺して食べる。それはどんな感覚だろう。

本質を言うなら、食とは何かを殺害して自分の中に入れる行為だ。
そこに自分の中に他が入る、他と自分がつながるという高揚感が生まれる。
かつては食べると言うことが、
もっともっと強烈な驚きに満ちた体験であったに違いない。

ネイティブアメリカンの本を読むと、彼らが長い命がけの旅に出る時、
祖母が自分の身体の肉をナイフで切りとって、乾燥させて渡した、と書いてある。
その肉を食べる描写も出てくる。
沖縄かどこかではかつては、人が亡くなると親族でその身体を洗って、
肉をみんなで食べたと言う。

食にはこういう部分があるはずだ。
生命が生命とつながる、響き合うとは単なるきれいごとではなく、
強烈な経験であり、これまでの自分が無に帰することであったはずだ。

僕には日常などない。
毎日毎日、瞬間瞬間に今を超え、他とつながる。
響き合う。自分が自分を超え、他のものになる。
変化の連続が世界だと思っている。

そのことはここの作家たちにしても同じだ。
だからこそ毎回新鮮な絵が描けるのだ。

2012年7月11日水曜日

最近のアトリエ

今日も暑い。
書きかけのブログが2つほどあったが、この際消してしまおう。

先週も今週もお客様がよく来る。
打ち合わせが続くときは連続で打ち合わせだし、
見学者が続くときも見学者が連続する。不思議だ。

最近は全体的には保護者の方が多いようだ。
何か少しでもお役に立てればと思うのだが、
僕が言えるようなことは、
世の中ではちょっと変わったことになってしまうのかも知れない。

悩まれている方が多いのに、力不足で申し訳ない。

昨日ははるばる和歌山からの見学の方だった。
この為に3人のお子さんを預けて、東京まで来ていただいた。

私達に見せられるものは、そんなに無い。
いつもの教室と作品と、わずかばかりの経験のお話。
ささやかなものにすぎないが、僕達にとってはかけがえのない大切なものでもある。

僕は社会にたった一つだけ伝わってくれればと思っている。

ダウン症の人たちの世界は、一つの価値であると言うこと。
意味があり、私達が見失っている何かがあると言うこと。

僕自身がそのすべてを知っている訳でも、分かっている訳でもない。
むしろ、関われば関わるほど、自分は知らないのだと思わせられる。

いつも書いていることだが、僕達関わる人間こそが彼らに試されている。
こちらの純度が高く、敏感な反応が出来ているのなら、
今より先の、もっとその奥の世界を、彼らは見せてくれる。
それがゴールではなく、さらにその先もある。
そのくり返しだ。
スタッフと作家とは、そんな風に日々、もっともっと高いものを見ていく。
深めていく。
その行為に終わりというものは無い。

良い作品が生まれるとは、作家たちがその次元を見せてあげるという、
許しをくれたのだとも言える。
そこまでを見せてくれた人を裏切ることは出来ない。

そうやって生まれた作品を適切な相応しい場所に置く。
必ず誰かの心にひびいてくれる。

何かが伝わる。

ご見学にいらして頂いた方に対して、
失礼ながら僕が厳しく注意をしたことも何度かあった。
申し訳ないこととは思っているが、場に入った以上、
僕には見過ごせない場面がある。
どうかご理解いただきたい。

作品に対して直接作家に質問しすぎる人がいるが、これも良くない。
作品は作品自らが語っているものだ。
言葉ですべてを知りたいとしても不可能なこと。
作品を感じる感覚を開いて良く見ていただきたい。

この様な場は特殊なものなのかも知れない。
これを良しとして下さる方には感謝の気持ちでいっぱいだ。

僕はどこまでもこの仕事を深めていきたいと願っているが、
価値を共有して下さる方々があって成り立っていることだ。

スタッフや仲間たちのことは書いた。
それだけでなく、参加している作家たちや保護者の方々、
応援して下さる方、そういった方々がみんなで、
このプロジェクトを創っている。
誰かの指示で動いている訳ではない。
関わった人、みんながその場面において、創って来た、
その集まりが今の形となっている。

僕は同じスタッフもお客様と同じ位に大切にしている。
雇うとか、使うとかいう感覚は全くない。
一緒に創る人、仲間、同士として。

よし子が中心になって、ゆりあや学生達がいてくれることで、
僕の働きも成り立っている。
この人達の働きなくして自分に何が出来るのだろうと思う。

子供が産まれて、僕も悠太の保護者、父親となった。
これまで作家たちのことばかり考えてきたが、
少しは保護者の方々の気持ちが分かるようになってきたかも知れない。
立場が違うので、どうしてもズレるところはあるだろう。
でも、それゆえに協力し合えば、より良いことが出来るかも知れない。

特に障害をもった子の親の場合、
早く様々な事を訓練させて、少しでも可能性を増やしてあげたいと思う。
でも、長い目で見て欲しい。
結果はどうだろうか。
必死になって訓練して出来るようになったことも、
ゆっくり育てていけば、いつかはおぼえることだったりする。
悠太を見ていても感じるが、
たかだか、3年や5年くらい、みっちり一緒にいてあげていいはずだ。
友達が、とか言うけど、その後でもいくらでも作れるはずだ。

焦ることも、人と比べることも必要ない。
その子のペースでいけばいい。
早ければすべてがいいとは限らない。

一番大切なのは、大切な時期に一緒にいてあげること。
安心感と信頼感を与えてあげること。
絶対的な愛情に包まれた、最も大切な時期に、
情緒も感覚も人間として最も大切なものはこの期間に育つ。
他のものは他の時期にも身に付くが、
愛情から育つ安定感はこの時期にしか吸収出来ない。

産まれたばかりの赤ちゃんを連れて、
絵を描かせたいと仰る方も来るが、
絵なんていつでも描けますよ、とお話しする。
一緒にいて愛情を注ぐ時間を大切にしてあげて下さい。
結果はその後に描く作品にはっきり現れます。

彼らは生まれ持った素晴らしい資質を持っている。
無理させる必要は全くない。

彼らのリズムが尊重されていくことを願うばかりだ。

2012年7月7日土曜日

これまでを超えていく

今日は梅雨が戻って雨。
悠太がほんとうにかわいい。
最近、父親が好きなようで、家へ帰ると凄く嬉しそうに笑う。
僕の顔を両手でつかんで抱きしめる。鼻をかじって笑う。
まだ、何も分からないはずなのに、この子は優しい子だなと感じる。
一緒にいるとすぐに時間が過ぎていく。
人生で初めての経験をしている。

子供の未来を思うと環境の事は避けて通れない。
現実から眼を背ける訳にはいかない。
子供の事は誰も責任はとってはくれない。
放射能のことはずっと続くのだから。
東京も数値が上がってきていると言う。
残念ながら住む場所では無くなってしまったのではないか。
そんな中でもすすめていかなければならない仕事が残っている。
責任を投げ出す訳にはいかない。
ここが考えどころだ。

僕の周りでも移住を考えたり、実際におこなったりする人が増えている。
実家のある人は帰ったりしている。
当然少しづつそうなっていくだろう。

東京での役割についても深く考える。
すべてが良い方向に行けば良いが。
最善の選択というのがなかなか難しい時代だ。

そんな中で東京アトリエの仕事は増えている。
時代の要求があるのなら答えていかなければならない。
誰かの為にある活動なのだから。
人手不足に悩む日々だが、スタッフを雇う経費が無い。

そんな中で先日、ボランティアでアトリエをお手伝いして下さる、
という方と出会った。
子供も2人いて、主婦としてお忙しいところなので、
時間が許す時だけのお手伝いだけど、有難い限りだ。
同じ学校の出身でちょっとクリちゃんのような雰囲気の方だ。

そのクリちゃんとも久しぶりに昨日会った。
フクちゃんも大きくなった。
アトリエで一緒に働いて来た仲間達は、学生も含め家族のようなものだ。

困難な時代ではあるけれど、僕達はどんな場所からでもつながっていきたい。

制作の場で自分自身が見ている事を、実はあんまり書いていない。
僕はきっかけをつくることが仕事だと思っている。
僕自身が見て来たもの、見ているものは書くことが出来ない。
何故なら、今も変化し続けているからだ。
昨日と今日では見えることが違っている。

ブログも現場と同じだと感じる事がある。
もっと良く書けたのにとか、次回はもっと深く書きたいと感じたり。
毎回、良くしていきたいとは思っているが、満足出来たことはない。
更新が結構早いと言われるが、伝えたいことが多いこともあるが、
実を言うと毎回、あれではなあ、と後で気になってまた更新ということがある。

見方が変わると書いた。
今日はそれをテーマにしたい。
僕達は変わっていくべきだ。満足してはならない。

深い経験をする事は、ある意味でこれまでの在り方を否定し、
もう2度と戻れない地点までいくことだ。
本当の経験がある時、それ以前のような見え方や感じ方が出来なくなる。
絶えず生まれ変わるようなものだ。
それくらい強烈に生きなければ、生まれて来たかいが無い。

本当のものを知ったら、嘘のものには触れられなくなる。
あるレベルを経験したら、それ以下のものがバカバカしくなる。
そのような経験は滅多に出来る事ではないけれど。

制作の場に向き合っていても時々、そんな経験がある。
それがあるから次にいける。

思い出や経験の大切さを書いて来た。
それらは過去ではなく今も、これからもずっと生き続けるものだと。
しかし、思い出や経験が過去になる瞬間がある。
それ以上を知った時だ。
その時、私達は脱皮する。もう戻れない。
そんな経験をする為にこそ生きているのかも知れない。

コンサートで良い演奏を聴くと、家にあるCDを全部捨てたくなる。
しばらく他のものが聴けなくなる。
美しいものに触れるとはそんなことだ。
読書でも絵画や映画の鑑賞でも同じだ。
日々の経験すべてにあてはまること。
過去になってしまったものには、もう魂が動かない。

僕にとっては音楽が一番休まるものだ。
仕事以外では絵は見ないようにしているし、色の強いものも身の回りに置きたくない。
(先日、フェルメールの真珠の耳飾りの女を見た。絵の前から動けなかった。ああいった美はどんな時でもこころを動かすことは間違いないが。)
映画にしても視覚を使うものは、普段はあまり触れたくはない。
毎日、作品に向かい合っているからだ。
もちろん、制作の場では視覚だけを使う訳ではないし、
むしろ視覚に頼っていては見えないことだらけだ。
でも、1人になって眼をつぶると色でいっぱいになっているのは事実。
何もないところに、ぼやっと赤や黄色や、いろんな色が滲んで見えたりする。
だから普段は視覚を休めたい。

音楽は本当によく聴く。
聴かなくなると何ヶ月も聴かないが、聴き始めると止まらない。
特にクラシックを聴くが、あくまで演奏家が好きなのであって、
クラシックというジャンルが好きな訳ではない。

また脱線してしまって申し訳ないが、
これも大事なことなので書く。
むしろクラシック音楽というジャンルは嫌いだ。
なぜ嫌いかと言うと自分達をクラシックと名乗っているから。
そこになんの疑問も持っていないからだ。
クラシックと呼ばれている音楽は、全くクラシックなものではない。
ヨーロッパのある地域と時代に限定された偏ったジャンルだ。
人間と音楽の関係を考えると、むしろ特殊なジャンルだろう。
特殊であることが問題なのではなく、クラシックを主張してしまうことが問題だ。
これは絵画も含む芸術と呼ばれるもの全体の問題だ。
科学も同じ。
グローバルスタンダードなるものが、みんなアメリカであれというのと同じだ。
私達は普遍とか平等にこそ気をつけた方がいい。
それらはただたんに一つの世界観によって他を排除しているだけかも知れない。
現在の芸術と言う概念も、
さまざまな犠牲の上に成り立って来たことを忘れてはならない。

アウトサイダーアートと呼ばれるものがあるが、
そもそも前提としているインサイダーこそが問題だ。
それらの言う芸術とは何なのか、考えてみることの方が先決だ。
人類の歴史から見るなら、
クラシックやインサイダーこそが、アウトサイダーかも知れない。
と言うより、自分達の前提としている価値観の背景を知れば、
もっともっと可能性のある世界が見えてくるはずだ。
その時にこそ、クラシックもインサイダーも本来の価値を取り戻す。
平等とは違いがないことではない。
違いの意味や豊かさを尊重し合えることだ。

話が逸れてしまった。
少し前にある指揮者のワーグナーのCDと出会った。
あまりの凄さに他のワーグナーが聴けなくなった。
何度かくり返し聴いたが、驚きは変わらない。
もう10年も聴き続けた音源があったが、もう聴けなくなった。
その演奏は過去となった。
いつ聴いても新たな発見があり、ワーグナーに関してこれ以上はないと信じた演奏が、
今では全く響いて来ない。
これを知ってしまった後では。
上には上があるという言葉だけでは片づけられない。
生きていると面白いことがたくさんある。

ついでに言うとこの指揮者はそんなに名前もない人らしく、
インターネットで検索してもこのCDの情報はなかった。
ネットが信用出来ない理由はこんなところにもある。

本当のものとはそうなかなか出会えるものではない。

仕事の中でもこのような体験をしていきたい。

2012年7月4日水曜日

場が動く

それにしても暑い。
今年はなるべく省エネでいきたいが、
みんなの身体を優先させるとクーラーは必須。
プレはお昼寝を入れながら、みんな制作に励んでいる。

場の話は本当に何度も何度も書いてきた。
スタッフとして場をどう認識していくか。
どんな場を目指していくべきか。そもそも場とは何なのか。

僕が場のようなものの存在を知り、意識し始めたのは10代の頃だ。
大切のは場には個人を超えた力があり、関わる人間の意志と動きが、
良い場を生む、と言うことだ。
これまでずっと場に入り続けたがまだ満足のいく役割をはたせた事はない。

スタッフや関わる人間が一番大切にしたいのは、
場の要求している事を感じとり、それに従っていく事だ。
このことは何度か書いてきた。
これは「受け」としての重点だ。
もう一つ忘れてはいけない事に、能動的な働きかけがある。

僕はこれを「スタッフとして場を動かす力」と呼ぶ。
動かすと言うとあまりに強引な感じがするので、あまり良い表現ではない。
感覚としては「場が動く」という感じだ。
もし、自分が中へ入って場が動く感覚がなければ、
スタッフとして力不足を自覚しなければならない。

自分が入った瞬間に場が動き出す。
場が呼吸する。そのことが大切だ。

ただ、静かにしているだけでも、味気ない寂しい静かさなのか、
密度の濃い荘厳ささえただよう静けさなのか、自ずと異なってくる。
行為や会話が飛び交っている時も同じ。
ただの騒がしさ、もっと言えばうるさいだけなのか、
本当に活き活きとした動きがおきているのか。

すべては場が動くかどうかにかかっている。

2012年7月2日月曜日

次の段階

梅雨時期のアトリエ。
昨日は雨がしとしと降る中で、相変らず元気いっぱいなクラスだった。
午後クラスの後半、最後にてる君とすぐる君の男子2人になってから、
向かい合って静かに描く姿が良かった。
これぞ、制作の時間という感じ。梅雨の雨も静けさに一役かって、
とてもすてきな光景。

やっぱりさすが、てる君と思ったのは、後半疲れて来てから、
「僕はいつもいっぱい描いてるから今日はもう終わりにする」という。
時間の連続の中で制作が染み込んでいるな、と思う。
これまで描いて来た時間と、今の時間がしっかり重なっている。
でも、「やっぱり描きたい」と言ってもう一度はじめる。
紙の上の方から、四角や様々な形を重ねていく。
半分まできたところで「おてて疲れた。」と言って真っすぐな線をひきはじめる。
それも綺麗なのだけど、上の形ほどの純度はない。
疲れたから、今日は下の方は線でうめていくのかなと思うと、
二本線をひいたところで、筆を止めてお茶をのみだした。
しばらく休んでから、ちらっと画面を見直して、もう一度描き出す。
上の方の様々な形もその下の二本の線も活かして、
初めからこういう作品に仕上げるつもりだったのでは、
と思えるような完成された作品を描きあげる。
彼には本当に見えているし、分かっているのだなとあらためて思う。

アトリエが終わった後、ゆりあと2人で絵具の箱を入れ替える。
筆もこびりついた油をカッターで削った。
全部終わったのは夜だった。

つくづく良い仕事がしたい、と思う。

このブログではこれまで「肯定」を語ってきたと思う。
時には矛盾や葛藤や批判も書いた。
でも、前提としては「肯定」の考えを書くようにしてきた。
その事に今後も変わりはない。
でも、今日は「肯定」を語らないで書こう。
絶えず正直でありたいからだ。

僕は自分の仕事に満足したことはない。
いつでも自分のマイナスがはっきりと見える。
だから、努力を重ねる。

これまで、そんなことはなかったが、最近は自分を持て余す事がある。
こんなものじゃないはずだ。もっと先へ行けるはず、という思いがある。
このレベルで留まってはいけないと感じる。
そういう意識のスピードが早くなっている。
自分が自分についていけない。

ここまでやってきて、出会いたいと思っていたことに出会えた。
知りたいと思っていたことを知ることが出来た。
見たいと思っていたことも見えた。
更に先も必要な手順を踏んでいけば、ここまでいけるという地点が見える。

見えれば見えるほど、分かれば分かるほど、
それでいいのだろうか、と思ってしまう。

見え過ぎたり、分かり過ぎたりして、いきづまることもある。

伝えるべきこと、知ってほしいことは、
現在僕が伝えていることのもっと先にあるような気がする。
そこまで行かなければと思う。

自分に対してお前はまだそこに居るのか、
そんな次元で留まっているのか、と感じたり。

まあ、こうして次の段階が見えてくるのかも知れない。
これまでの段階は終わっていいのだと思う。
10年後にもっと違う深さを知っていたいと思う。

変えてはいけないところはベストを尽くすということだけだろう。

手探りで次の段階を探していく。
制作の場での自分自身も日に日に変わって行く。
やっぱり面白いなあ、という結論ではある。

2012年7月1日日曜日

夏の記憶

昨日の夜、悠太が急に高熱を出した。急いで病院へ行った。
明け方、触った感じでは熱は下がって来ていると思う。
少し心配だけど大丈夫だと思う。

合間を見て、よし子と今後のダウンズタウンについて語り合っている。
大きく動かなければならない時期だ。
どこまで出来るだろうか。

先日はしょうもない会に出席していた。
なんの会か、さすがに僕も名前を出すことは控える。
本当はこういうのは言っていった方がいいし、どんどんケンカした方がいい。
でも、やっぱりそれによって迷惑がかかる人が多いのでやめておきたい。

人のこころが動くことで、多くの人の動きにつながる。
そんな流れには注目していきたい。
でも、莫大なお金が動くことで、人の動きが生まれているということに、
なんの興味も持てない。
大人になったら、そんなこともあるよなあとか、
世の中そんなもんだよ、とか思うのかなと思っていたが、
この歳になってもぜんぜんそんな事はない。
くだらないものはくだらない。
だから、あえて青臭いことを言おう。
お金や地位や権力で、何かが動いたとしても、そんなものになんの意味も感じない。
しかもそんなものは結局、何も生み出しはしない。
何かが起きていると錯覚させるだけだ。いずれ時間が証明するだろう。

まあ、そんなことはどうでもいいことだ。
僕達には永遠に関わりのない世界だろう。

記憶について、思い出について書きたいと思う。
と言っても僕は過去には全く興味がない。
終わったことには何のこだわりもない。

記憶や思い出とは、今生きているものだ。
いや、それは永遠に生き続けるのかもしれない。

僕の一番大切な宝物は思い出だと思う。
他のものはみんな捨ててしまってもかまわない。
最後には思い出だけが残る。

思い出は人や出来事が自分に与えてくれたプレゼントだ。
だから、大切にしたい。
良い思い出が人への愛情を生み、やさしさをつくる。
良い思い出を持っている人は悪いことをしない。出来ない。

この前、悠太に、高い高いをしていたら、
僕自身が小さな頃に同じようにされた記憶が思い出された。
その時に高いところから見た景色や感触やあたたかさまで。

父とは人生の早い時期に分かれなければならなかった。
でも、確かに肩車をしてもらっていて、
父の「危ないから、絶対につかまっているんだよ」という言葉を聞ききながら、
髪の毛を引っ張っている記憶がある。
まるで、ついこの前のような感覚だ。

僕が一番大切にしている記憶。
自分の原点である記憶がある。
子供の頃のこと。
西原理恵子の漫画「ぼくんち」は客観的に読むことができない作品だ。
何故なら、あの話はそっくりそのまま、僕の少年時代と重なるからだ。
ほとんどあれと一緒だった。
ただ、一つだけ違うのは、子供の頃の大切な記憶だ。

僕はいつもそこにいた。
あの途方もない感覚の中に。
無限と永遠が目の前にあって、自分を取り囲んでいる風景。
前にも後ろにも、上にも下にも無限があった。
僕という存在はあるのかないのか、そのギリギリのところで、
ただ、無限だけが辺りを包んでいた。
その気配をいつでも感じ、いつでも味わっていた。
たった1人で街を歩き、川を歩き、いつまでもそこにいた。
それが、あまりに当り前すぎて、何も考えてはいなかった。

ある夏、僕はこの無限の感覚をはっきりと自覚した。
橋の上から川を見ている時だった。
ビニール袋に蝉の抜け殻をたくさん詰めていた。
僕は自分の感覚している世界、無限の気配をはっきりと自覚した。
みんな、みんなこの感じを知っている。
みんな、こんな風に見ている。
でも、いつかこの感触は消え、こんな風には見えなくなる。
いつか、何もかも忘れていく。
それが大人になること、人間になること。
だから、この感覚のことをみんな知っているのに、知らない。

あれからどれ位の時間が流れたのだろう。
僕はたくさんの人に出会い、たくさんの経験を積んできた。
35になった。
そして、結局あの感覚は無くなることはなかった。
忘れることもなかった。

時々、無限が僕を守ってくれたような気がする。
本当に変な話なのだが。

人でも出来事でも、影響はその場限りのものではない。
むしろ、それから後、1人でその記憶を育てていく。
膨らませていく、それが記憶の素晴らしさでも怖さでもある。

もうとっくに、終わってしまったことなので、
少しだけ女性の話をしても良いだろう。

中学生のころ、大人の女性と恋愛のまねごとをしていた。
彼女にとっては、疲れや諸々のことを忘れる為の気晴らしだったのだろう。
夏の夜、僕達は公園のブランコに座っていた。
もう多分、この人とは会わないな、と僕は感じていた。
彼女は「ゲームしようか」とたしかそんな言葉ではじめた。
「これからもう何年も何十年もたった時、どちらかが今日のことを思い出せるか。今日の、今ここの公園の夜のことだよ」
「公園の夜のブランコね」
「そう。このブランコ。これを思い出すとき、それぞれは何をしてるんだろうね。もしかしたら、歳をとって人生の最後の最後にこれを思い出すかも」

相手の記憶に刻む、これは凄い言葉だと思う。
でも、その言葉は聞く側だけでなく、必ず言った側にも影響を与えてしまう。

これは信州にいたころのことだけど、
仕事に夢中だった僕はそのころ少しだけ付き合っていた人のことを、
ほとんどほったらかしにしていた。
どんどん険悪なムードになって来て、自然消滅のように、
どちらともなく相手から遠ざかっていった。
そんな彼女が急に手紙をくれた。
一度だけ会って話したいと言う。
僕はすぐに会いに行った。
話は誰かと結婚するということだった。お腹に子供もいると言う。
僕は「おめでとう。良かったね。いままで色々ごめんね」、みたいなことだけ伝えた。
更にしばらく、僕は日々に追われていた。
また、手紙がきた。最後の手紙だなと思った。
結婚式が終わった翌日にこの手紙を書いていますと、始まり、
生活のこと様々なことが書いてあった。
最後に「PS 昨日、佐久間君の夢を見たよ。どんな夢だったかはヒミツ。またいつか。」
と書かれていた。
最後にこんなことが言えるのか、と彼女を見直してしまった。
もちろん、ヒミツは永遠にヒミツであって、
もしかしたら、その意味は僕だけでなく彼女自身にも分からないのかもしれない。
ただ言えることは、最後が一番彼女と僕が近くにつながったということ。

こんな話はこれくらいにしておこう。
最後はこれは恋愛とは関係ないとおことわりするが、
海の近くの村で住み込みのアルバイトをした事があった。
みんなが夏の3日ほど休みになって家に帰っているとき、僕はそこへ残っていた。
女の子が「私の実家、近いんだけど行かない?今日はお祭りなんだ」と
話しかけてきた。
彼女の車で海辺をどんどん走っていく。
途中で何度か花火をみる。田園風景。
僕はあの景色をいつまでも忘れない。
彼女の車はたくさんのぬいぐるみであふれていた。
その子の家へつくとしばらく話していたのだが、そのうち彼女はいなくなった。
家族や親戚の人達、たくさんに囲まれて、僕は楽しく過ごしていた。
家は大きく、すべての窓が開けられていた。
どこの誰とも知らない人が大勢いて、外からも人が上がり込んだりしている。

子供のころ、裏山に入ると、そこはいつでも霧に囲まれていて、
何も見えない幻想的な風景だった。
霧の中で友達と語り合った光景も忘れられない。

すでにこの世からいなくなってしまった、大切な人達のこと。
彼らが僕に残していってくれたことは忘れない。
思い出す人さえいれば、記憶はいつだって生きている。
そして、今、この瞬間も何かを伝え、教えてくれる。

今日も良い教室をすすめたい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。