2015年7月28日火曜日

いつまでも輝く時間

暑さが続く中、アトリエ内での仕事ばかりだったので、
ここ数日あまり外へ出ていない。

土、日曜日は、この時期にしては驚く程の集中で制作しているみんながいた。
僕達も踏ん張ったのでかなり良い場になった。

保護者の方から相談を受けていて、心配していた作家がいたが、
まずは今の流れの中で出来るだけ安心出来る時間を創れたのではないか。

2日間、研修の方を受け入れた。
伝えられることは精一杯伝えた。

暑くて頭が回らず、仕事はきっちり出来るのだけど、
それ以外の時間はぼーっとしてしまってブログにまで辿り着けなかった。

以前、僕はダウン症の人たちを語る時に、
ゆっくりに見えるが、内面的なところから見ると、早い時間の中を生きている、
と言うような表現をしたことがある。

いつでも敏感で繊細な感性で物事の流れを感じとって行く姿は、
素直で正直で、素晴らしいと思うと同時に少し切なくなる。
こうやって感じて行くのに相応しい世の中ではないから。
見なければいけなくなる多くの現実を思うと、胸が張り裂けそうになる。

悠太と過ごしていると、いや、今の子供達を見ていると、
これに近いものを感じる。
僕達はゆっくりゆっくり大人になって来た。
でも、彼らの中を流れている時間はもうそうではない。
善くも悪くも、人生の早い時期に多くのものを見てしまうし、感じてしまう。
それは確実に現代と言う時代が生み出した一つの流れだ。

だからこそ、僕達はなるべく多くの、
あたたかく人間的でやさしい景色を見せてあげなければならない。

朝、何気なくニュース番組を見ていたら、
ある歌手の不幸な死をとりあげていた。
そのニュースを聞きながら、いつかこんな場面があったなあ、と感じた。
いうところのデジャビュというやつか。
この時間は昔確かにあったぞ、という感覚。

立川談志の書き残していた映画時評が「観なきゃよかった」という本になった。
編集も素晴らしい。
読んでいて、談志はやっぱり良いなあ、と思う。
世代的なものも大きいと思うけど、映画の趣味は全く違うのに。

ジーンケリーについて語った最初の文章を読むだけで充分価値がある。
素直な愛。惚れきったものを語る無邪気さ。

これを読んでいると、
今、「雨に唄えば」や「イースターパレード」を、観たいと思う。
観たいと思うけれど、暑い。2時間の集中力がない。

それでも頭の中でジーンケリーやアステアが鮮やかに踊り出す。
何度も何度も彼らの踊っている姿が駆け抜けて行く。
輝かしく、活き活きと。なんて素敵なんだ。
愛があって、喜びがあって、肯定的な感情をみんなに与えてくれる。
ありがとう、と自然に思ってしまう。

談志の落語、過剰な演出、やり過ぎな感じも、業の肯定も、
全ては喜んで欲しい、楽しませたい、これまでにない経験をさせたい、
と言う想いの結果ではないか。ある意味でサービス過剰にならざるを得ない。
ジーンケリーやアステアが全身全霊で輝いていたように。

そば屋でよく顔を合わせる人がいた。
僕達はたわいもない会話を楽しんだが、お互いについて何も知らなかったし、
知ろうともしなかった。
ただ偶然、時々顔を合わせる、人生のある瞬間にすれ違う人。
このまえ、そのそば屋に行くと、店主に「××さん、亡くなったそうです」と。
その時もあれえ、これはずっと前にあった場面だな、と感じていた。

ジーンケリーとアステアが頭の中で踊り続ける時間の中で、
CDでピアニストの演奏を聴いた。
新しい音だ、と感じた。
クラシックの演奏なのに、音楽の流れから音達が別のものを主張して、
文脈を離れて行く。
バラバラになったそれぞれの場面が、何故かよりリアルに迫って来る。
マイケルジャクソンの動きを思い出した。
身体がバラバラになって、それぞれが一場面をつくって行くかのような。
大きな物語の中に全てが収まっていたのが過去だとして、
現代の世界においては全てのパーツがバラバラになってしまっている、
と言うような纏め方をして良いのか、分からない。
でも、僕にとってもバラバラになった先で、それぞれをどう扱うのか、
というテーマがかなり大事な部分だと思っている。

ジーンケリー、
そしてアステアが今この瞬間を祝福している、ということがありがたい。
人はどうなるか分からない、特に今のような時代は。
それでなくともやがていつかは消えてなくなるのが僕達の宿命。
でも、だからこそ、全身全霊で輝こうとする。
人の輝きを見つけようとする。愛し合う。

しばらく熱に浮かされたような真夏の中でぼんやりしていた。
色んな人の姿が頭を過って行ったが、
やがて友枝喜久夫が現れるともなくやってきた。
友枝喜久夫の舞。走馬灯のように、夢の中を歩いて行く。
あるのか無いのか、居るのか居ないのか。
風のようでもあり、ほとんど形をなしている全てのようでもある。

そんな全ては幻。仮の姿にだと教えてくれているようだ。

こうして過ぎ去って行ったにも関わらず、
いつでも自分を助けてくれる景色のように、
生き続け、輝き続ける時間を創ること。
あれがあったから、あれが見られたのだから、生きて来て良かったと思えるような。

僕達の現場はそういう時間を目指している。
こころの中で生き続けるものは永遠だ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。