2015年7月21日火曜日

波の音、潮の匂い。

厳しい夏ですね。

夏の制作は、こめるとか集中とかいう部分がやっぱり、
なかなか難しですが、その中でかなり良いせんで進んでいます。

とにかく、暑さ対策。

そんな中で奇麗な夕焼けがあったり、
東京の早めのお盆の茄子やキュウリに割り箸をつけて馬にして、
置かれているのを見かけたり、盆踊り、ゆかた、
商店街で見た阿波踊りがあったり。
夏だなあ。

セミはまだ鳴かないけれど。蛙も。蛙は田んぼが無いと聴こえないかな。

池袋のリブロ本店も閉店。
どんどん寂しくなる。

本屋さんで福井県の観光名所を紹介した冊子が無料で置かれていた。
その周りは福井コーナーで、先日亡くなった物理学者とか、
作家の舞城王太郎とか、水上勉とか、ドラマが話題の「天皇の料理番」の、
料理人の本とか、他にも色々、置かれていて、
福井県の奥深さが感じられる。
北陸新幹線が金沢止まりだということが、福井の人達にとってまたか、
という想いを抱かせていることを、僕は色んな人から聞いている。
不便なところだけど、だからこそ、福井は素晴らしい。
僕も何度か回ったことがある。
恐竜と縄文のことに興味のある方は行くべき土地だ。

福井と同じように石川県の中でも能登は未だに遠く不便だ。

能登半島の先っぽに立つと、朝鮮半島や中国、
そしてロシアが決して遠くないことが分かる。
福井と同じく能登にも縄文遺跡がある。

親戚の家に預けられていた頃や、宿泊施設で住み込みのアルバイトをしていた頃、
能登の海をよく見た。
連続して数多く行われる祭り。
車で僕を見知らぬ祭りに連れて行ってくれた女性。

小学校で交流したイルクーツクの人達。
彼らが帰りに飛行機をハイジャックし亡命に失敗し、
全員ピストルで撃たれて殺されたのだということや、
音楽を奏で陽気に踊っていたあの時から、楽器の中には武器が忍ばせてあったのだ、
という事実を後で僕達は知った。

僕らと同じ位の年齢の子供達のこと。
一緒に手を繋いで踊ったこと。
イルクーツクって何処だろう、どんな国だろう、と、
能登半島から海の向うを見て、ずっと向うに行けばあるのだろうか、とか。

もう一度、能登の先っぽまで行って、そこに立ってみたいと、時々思う。

金沢では本当に沢山のことがあり過ぎて、
そして今でもまだ言えないことが色々ある。
父のことや母のこと。あの場所にいた沢山の人達のこと。
忘れたいと思っている人も多いだろうし。

金沢に109がある事に驚く人が多い。
しかもかなり前からある。
あそこは祖父の家の近くで、09のある場所はもともと大神宮があったところ。
その時代は勿論僕は知らないが。
でもこの事実は重要だと思うし、ちゃんと記憶しておかなければならない。

みんな必死に生きていた。
ここには書けないけれど、かなり酷い目にあって来たけれど、
誰のことも本当に恨んだことは一度も無い。
みんなそうせざるを得ないほどに追い込まれていたのだから。

今僕は一つ一つの思い出や情景を掛け替えのない宝物だと感じている。
その中からどのパーツも失いたくはない。
多くの人が不幸だと思うような場面が、今の僕には輝くような何かとして見えている。
あそこに居られて良かったと思う。

いつも書くことだけど、過ぎ去って行った全ての時間が、
今でもここで生き続けている。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。