制作前なのであまり時間がない。
大きな台風が時代の不穏な空気を暗示するようだった。
何かのため、誰かのためには、怒ること、抵抗することも必要だ。
今はそのことを思い出す時。
安保も原発も大きな流れの中でうやむやにされないように。
このまま行くと滅ぶという危機感を持ち続けなければならない。
大切なのは次の世代に何を残して行くのか。
男達の勘の悪さにはあきれるばかりだ。反応が鈍すぎる。
勿論、そうでない人達も沢山居るけれど。
でもこういう生命に関わる場面においては、
女性達の方が遥かに敏感だと最近特に実感する。
久しぶりに尊敬している方と長い時間お話しした。
こういう方達を見ていると本当に励まされる。
一つだけ。大切な言葉を。
本当のものはあまりにも普通すぎて多くの人に気づかれない。
だから評価されるものは良い悪いと関係なく、
目立つものインパクトのあるものだ、と。
そのとおりだと思う。
この普通すぎて気づかれない、というこのレベルの仕事をしたい。
いろいろあったけど、僕は良い場を目指して行く。
一回一回の制作に命を吹き込んで行く。
それが全てだ。
どこかで読んだので、間違っているかもしれないが、
ヴァイオリニストのチョンキョンファの言葉。
「私は学びの途上にいます。一つ一つのステージに命を賭けます。」
あの崇高な音は、この覚悟から生まれている。
今、大切なのは次の世代に、本当のものを知る経験や、
本質に触れる時間を、そのための環境を残して行くことだ。
大人はいつでも、仕事に向かう姿勢を、
生きる姿勢を見せて行かなければならない。
しばらく、内側から見えてくる情景を書いて来たが、
今回は外面的と言うか、外を問題として書いた。
責任ということも考えた。
またこれからも内面のことを書く。
そちらの方が僕達の仕事の部分だと思う。
グールドの演奏を沢山聴いた。
小プレリュードと小フーガ集は、グールドのスタジオ録音の中で最も好きなもの。
グールドは若い頃のライブの方が良いと思う。
でも、この作品は別格。
バッハの作品の中でも、演奏する人は少ないが、
ゴールドベルグや平均律クラヴィーアよりこっちの方が好きだし、
傑作だと思う。シンプルだけどエッセンスが詰まっている。
多分グールドもこの曲集が特に好きなのだと思う。
だから真面目に弾いている。
正確なリズム、明晰な構造、音の重なりが、螺旋のように刻まれていく。
まさしく宇宙の秩序のように。
いつの間にか人は消え、構造だけがそこに残る。
折り重なった音が快を与える。
我を忘れる、という気持ち良さ。
制作の場でもそうだけど、僕達は調和に向かって行く。
向かって行くのだ、ということは忘れてはならない。
今起きていること、そこに本当に向き合う必要がある。
戦争に反対したり、誰かを批判したりしているだけでは意味が無い。
平和と言うもの、調和と言うものも、選択し、意志を持って、
主体的に向かって行くべきもの。
争うのにある種の能力が必要なように、平和にも能力が要求される。
ぼーっとして放っておけば平和だと思っているのは、
それこそ平和ぼけと言うものだ。
そして、一人一人が理想を、平和を主張だけではなく、
実践、実証しなければならない。
今立っている自分達の世界において。
僕達は今日も場へ向かいます。