朝は雨。
今日は曇りか。灰色の空。
風の向きなのか、時々電車の音が聴こえる。
東京は静かになって来た。
もやっとしていて、涼しいとは言えないが、
ここ数日の猛暑で疲れ気味なので、これくらいの気候は休める。
小さな部分でなのだけど、身体も弱くなって来たと思う。
多分、気持ちの部分も。
別に気にする程ではないけど。
奥歯がまたとれてしまって、歯の治療をしなければならない。
この忙しいのに。
平日のクラスは昨日が最後で、今日から夏休み。
土、日曜日クラスはあと一回づつ。
8月は1日から連続で制作を行う。
明日アトリエで研修を受け入れるので、昨日は顔合わせ。
だったのだけど、すでにかなりお話ししてしまった。
真摯で誠実な方だったから。
次に繋ぐことや、他の環境で仕事される方に伝えて行くことを、
ここ数年ずっとやってきた。
この場だけであってはならないと思っている。
はるこが時々する夢の話は本当に面白くて深い。
出て来るイメージも凄い。
夢以外の起きている時間でも「画面」から色々見えるらしい。
誰々が画面から見えた、と呟いた数秒後にその人が入って来ることもある。
この前も欲しいマンガを探していたら、
次の日に「佐久間さん古い本屋さんに居たね。画面から見えたよ」と。
「何してた?」「マンガ見てたよ」
しばらく夢の話が続いていたので、
ある日「昨日はどんな夢?」と聞くと、
「何にも見なかった。真っ黒」。真っ暗だったかな?。
とにかく、ここが凄いところで、何も現れていない暗闇を、
彼女はしっかり見ていて自覚している。
実はこの意識の在り方が彼らの絵の秘密だと思う。
何故、あんなにもすぐに深いところまで行けるのか。
それは色彩や線やイメージから、
少しづつ深みに入って行くようなプロセスとは違っている。
むしろ、色彩や線やイメージが現れて来る、
何も無い深い場所に最初からいて、そこからイメージを生み出して行く、
というか自然に発生して来る、といった形に近いだろう。
勿論、いつでもそうであるということではなく、
そのプロセスを逆に行かなければならない時があり、
色と線とイメージから、あるいは筆の動きやそれ以外の振る舞いから、
そして会話から、辿って行って深みを見つけて行く必要もある。
そこを見極めるのが主にスタッフの役割だと言える。
それはともかく、真っ黒とか真っ暗の何も無い場所から、
ほとんど無限の流れが自然に生まれて来るという光景は、
普通の人ではなかなか経験出来るものではない。
それでも、それは人間にとっての根源的な在り方を表している。
はっきり言ってしまえば、暗闇とも何も無い場所とも言える何か無限なもの、
全ての源のような地点、そこを見なければ、
いくら形や言葉や、見えるものに意識を向けていても、
何一つ分からないとすら言える。
世界も宇宙も人の心も。
手放すと言うか、すっと最初に戻れる、と言うのは強い。
最初の場所に裸で立つことが出来れば、
そこから全ては自然に進んで行く。
これが創造性の源泉なのだから。
僕達はそこから来たのだし、いつでもそこへ立ち返れば良い。
「何も見なかったよ。真っ暗」という世界から、
活き活きと動き出す光や色彩や線。
僕達の抱える様々な問題も、
この何も無い場所に戻れなくなったことが原因にある。
だから制作の場とはそこへ立ち返って命を取り戻すことなのだ。
戻ることが出来る彼らと、帰り道を失って盲目的に争い続ける僕達の世界。
どちらが本当か。どちらが豊か。どちらが本質か。
今こそ、彼らの示すものから学ぶ必要がある。