2015年7月23日木曜日

何も見ない

朝は雨。
今日は曇りか。灰色の空。
風の向きなのか、時々電車の音が聴こえる。
東京は静かになって来た。

もやっとしていて、涼しいとは言えないが、
ここ数日の猛暑で疲れ気味なので、これくらいの気候は休める。

小さな部分でなのだけど、身体も弱くなって来たと思う。
多分、気持ちの部分も。
別に気にする程ではないけど。
奥歯がまたとれてしまって、歯の治療をしなければならない。
この忙しいのに。

平日のクラスは昨日が最後で、今日から夏休み。
土、日曜日クラスはあと一回づつ。
8月は1日から連続で制作を行う。

明日アトリエで研修を受け入れるので、昨日は顔合わせ。
だったのだけど、すでにかなりお話ししてしまった。
真摯で誠実な方だったから。

次に繋ぐことや、他の環境で仕事される方に伝えて行くことを、
ここ数年ずっとやってきた。
この場だけであってはならないと思っている。

はるこが時々する夢の話は本当に面白くて深い。
出て来るイメージも凄い。
夢以外の起きている時間でも「画面」から色々見えるらしい。
誰々が画面から見えた、と呟いた数秒後にその人が入って来ることもある。
この前も欲しいマンガを探していたら、
次の日に「佐久間さん古い本屋さんに居たね。画面から見えたよ」と。
「何してた?」「マンガ見てたよ」

しばらく夢の話が続いていたので、
ある日「昨日はどんな夢?」と聞くと、
「何にも見なかった。真っ黒」。真っ暗だったかな?。
とにかく、ここが凄いところで、何も現れていない暗闇を、
彼女はしっかり見ていて自覚している。

実はこの意識の在り方が彼らの絵の秘密だと思う。
何故、あんなにもすぐに深いところまで行けるのか。
それは色彩や線やイメージから、
少しづつ深みに入って行くようなプロセスとは違っている。
むしろ、色彩や線やイメージが現れて来る、
何も無い深い場所に最初からいて、そこからイメージを生み出して行く、
というか自然に発生して来る、といった形に近いだろう。
勿論、いつでもそうであるということではなく、
そのプロセスを逆に行かなければならない時があり、
色と線とイメージから、あるいは筆の動きやそれ以外の振る舞いから、
そして会話から、辿って行って深みを見つけて行く必要もある。
そこを見極めるのが主にスタッフの役割だと言える。

それはともかく、真っ黒とか真っ暗の何も無い場所から、
ほとんど無限の流れが自然に生まれて来るという光景は、
普通の人ではなかなか経験出来るものではない。
それでも、それは人間にとっての根源的な在り方を表している。

はっきり言ってしまえば、暗闇とも何も無い場所とも言える何か無限なもの、
全ての源のような地点、そこを見なければ、
いくら形や言葉や、見えるものに意識を向けていても、
何一つ分からないとすら言える。
世界も宇宙も人の心も。

手放すと言うか、すっと最初に戻れる、と言うのは強い。
最初の場所に裸で立つことが出来れば、
そこから全ては自然に進んで行く。

これが創造性の源泉なのだから。

僕達はそこから来たのだし、いつでもそこへ立ち返れば良い。

「何も見なかったよ。真っ暗」という世界から、
活き活きと動き出す光や色彩や線。

僕達の抱える様々な問題も、
この何も無い場所に戻れなくなったことが原因にある。
だから制作の場とはそこへ立ち返って命を取り戻すことなのだ。

戻ることが出来る彼らと、帰り道を失って盲目的に争い続ける僕達の世界。
どちらが本当か。どちらが豊か。どちらが本質か。
今こそ、彼らの示すものから学ぶ必要がある。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。