暑い、暑い。
夜も朝も。
今日は大事な打ち合わせがある。
ボブディランの古いCD。
誰かがくれたもの。
音楽を聴いていると、ふと思う。
こんなにも何もかもが過ぎ去って行って、
そして多くの人がもうこの世から消えているのに、
何一つ変わらないような感覚は何だろう。
初めて場に立ったその時から、
あれからずっとずっと同じことをして来た。
目の前に広がる光景に目を見開いて、ワクワクしながら素直に喜んでいたころ。
目上の人達からずいぶん可愛がられた。
やがて生意気になり、自分なりに見つけた答えに固執した時期。
仕事勘が冴え渡って何をしても的に的中し、
何処を突いても簡単につぼを捉えられた。
ちょっと本気で仕事すれば、見ている人達はすぐにうっとりした。
チヤホヤしてくれる女性達に囲まれ、誰からも非難されず、
言いたいことを言って、やりたいことをやって。
外から見たら調子に乗っているように見えたかもしれない。
でもあの頃が一番孤独だった。
歩みが止まっていることに気がついていたし。
身動きが取れない息苦しさを感じていた。
いくつもの夏。
全てはただただ過ぎ去って行くためにあるのだろうか。
昨日電車の中でランドセルを背負った小学生のいじめを見た。
お互いの力を試し、確認する時期が必ずある。
でも、そのいじめはそのようなものではなく、陰湿でひねくれたものだった。
人間の汚さを表すような。
「やめろ。やりすぎだ。」と注意したが、不快感が残る。
大人の世界そのものだから。
社会のこと、政治のこと、震災以後に起きていること、
意識的に発言しないようにして来た。
仕事を通してしか何も出来ないと分かっているから。
多くの虚しい言葉が飛び交っているから。
でも言って行かなければならないことはある。
子供達のことを考えなければならない。
あえてこの言葉を使うが戦わなければならない場面はある。
守らなければならないものがあるはずだ。
命に関わること、放射能のことを無かったことにしたり、
じわじわとしかし強引に戦争を肯定する方向へ向かったり。
そんなことを放置して良いのか。
外の世界のことでも、自分の内側のことでも、
向き合わない、逃げるということが一番恐ろしいことであり、卑怯なことだ。
僕達は制作の場において命と向き合う。
命とは響くもの。
この響きを聴いたことが無い人間は争う。
人間がどれほどの存在か知らないからだ。
醜いもの汚いものから目を背けない。
そこに向き合って真っすぐに進む。
もっともっと奥に光り輝くものがあるのだから。
きれいごとを言うつもりは無い。
実際に一つ一つの現場でそれを証明し続けるのみ。
僕達はずっとそうして来たし、これからもそうして行く。
そんなもの信じない、と多くの人が言った。
出来る訳が無い、と。
自分の幸せだけ考えれば良いのだと。
そう思う人はそう思えば良い。今でもそう思っている。
僕達は出来ることを知っている。
人間がこころの奥に持っているもの。
命の、魂の、輝き。
悔しい思いもいっぱいして来たし、挫折したまま居なくなった多くの人を知っている。
僕に託してくれた人達も居た。
沢山の涙と笑顔と、儚い想いも。
全部受けて、持って来た。
今言えることがあると思っている。
あったでしょ、やっぱり。
こんなに素晴らしい世界が広がっていて、
こんなに美しい風景を見ることが出来る。
ちょっと思っていたこともあるけれど、
ざまあみろとはおもう思わない。
でも勿体ないよ、と思う。
行けるのに。
人として生まれて、その可能性を充分使ってから死んで行こうよ、と。
僕達は同じ景色を前にしている。
一緒に見に行こうね、と思ってくれる多くの人達と歩んで行く。
照りつける陽射し。強い風。青空。
暑い、暑い。夏。
あ、今日のテーマに使った言葉は以前にも使った気がする。
でもいいか。たぶんこのフレーズが好きなのだ。
そろそろ花火やビーチを描く人がいるだろうか。
良い夏にしましょう。