さてさて、あっと言う間に一ヶ月が経とうとしている。
東京での仕上げの土、日曜クラス、良い時間にしたい。
来週少し用事が残っていて水曜日までは東京だけど、
すでに予定はいっぱいになってしまった。
打ち合わせ、ご見学の日程をお待ち頂く形となった方達、申し訳ありません。
6月に必ず。
そして保護者会も先送りになってしまいました。
こちらも6月はやりましょう。
三重との行き来でまだ良いバランスとスタイルを模索中だ。
今月は少し予定を入れ過ぎて細かな対応が出来なかった。
ご理解とご協力を頂き有り難う御座いました。
引き続きよろしくお願い致します。
東京都美術館での展覧会も近づいて来ました。
ぜひ、見に来て下さい。
不安も多い世の中になって来たし、
確かなものが求められる時なのかも知れない。
「ほんもの」とか「本質」とか、僕自身もテーマとしている言葉だけど、
そういうメッセージをよく見かけるようになった。
小林秀雄とか白洲正子とかのリバイバルも多い。
自然とか食とか身体にも注目が集まっている。
それくらい、色んなものの足場が失われてしまったのだろう。
基本的には良い流れなのだとは思う。
でも、確かなものを求めると硬くなりやすい。
ただでさえ、僕達は生きるために硬くなってしまっている。
硬くなると見えなくなる。
こんな時、ダウン症の人たちの持っている感覚を知るのは役立つと思う。
それとか、僕達が制作の場で見ているものとか、
こころや身体の使い方は、どんな時でも有効だと思っている。
確かさを求めるのではなく、もっと柔らかく流れを見る。
固定しない。力を抜く。外す。捨てる。
明晰に見ようとせずぼやっと見る。
からっぽになる。
そうしていると動いている現実に上手く対応して行ける。
本当はこの現実や世界と言うものは、柔らかくて捕らえ所のないものだ。
こうだとかああだとか言えないもので、何処までも流れて動いている。
現実は柔らかいのに、僕達の認識が硬くなっている。
柔らかい現実に触れている時、身体もこころも自由になる。
決めつけたり固定化しなければ限界もない。
漂うように流れるように、柔らかく変化に順応して行けばいい。