夜、絵具を作りながらテレサ・テンを聴いていた。
山岸さんからもらったCD。
拓巳さんからもらったピンクレディーと山口百恵のもある。
拓巳さんから来たのは、彼がどこかから持って来てしまった物だろうけど。
そんな2人も今はもうこの世にいない。
本当に不思議だ。
絵具を作っている時には、気持ちをこめることが出来る。
大切な時間だ。
人に伝えるということを僕なりに頑張って来たけれど、
そしてこれからも努力して行くつもりだけど、
実際にアトリエを見学したり一緒に過ごして来た人達には、
もっともっと大きな部分で伝わっているものがある。
そういうことを後になって言ってくれる人もいる。
ああ、ちゃんと伝わってたな、やって来て良かったなと思うし、
大切にしてくれてありがとうという気持ちにもなる。
これからはイサもそうだし、他の人達もそうだけど、
何かを感じてくれた人達が自分の仕事の中で繋いで行ってくれる。
やらなければ、やれなければ、ただの言葉にすぎない、
ということを示して来たつもりだ。
そして実際にやって見せて来た。
こころや創造性に寄り添う時に必要な繊細な動きと言うものは、
実際には様々な場所で求められるものだと思う。
海や川の音を聴いていると分かることだけれど、
流れと言うものは一時も留まることがないものだ。
人だけが、思考だけが止まってしまうし、固定してしまう。
川のようになれたら、川のように動けたら良い。それが理想だ。
大河の流れのような大きな動きをまず感じとる。
どんな場にもそれがあるのだから。
耳を澄まして聞き取れるようになること。
流れを自覚出来たら、それを最優先することだ。
何かをしようとか、してやろうという意識を捨てた方が良い。
場や流れの中でいかに邪魔してないか、違和感がないか、
そこだけを気をつけて行く。
濁ったもの澱んだもの、そういうものを持ち込まない。
人としてのいやらしさやいじわるさ、それが一番いけない。
場を汚さないこと、これが最も大切なことだ。
一つ一つの動作が自然でズレがなく、流れに重なるものになっていれば、
自分も他人も心地良く感じるものだ。
すべての瞬間が新しいし、今その場で何かが動いていて、
生まれつつある、創造性という奇跡を目の前にしていることを忘れてはならない。