2014年5月12日月曜日

日曜日の時間

昨日は思いのほか深い場になった。
理想とする形とは違うけれど、結果は素晴らしかった。
だから理想だけではダメで、場の流れに従うべきなのだが、
かといって理想のイメージを全く持たないのもいけない。

場と言うものは無限だとつくづく思う。

場が存在するからこそ、一人一人の奥深いものが浮き上がってくる。
これだけ多くのものを見せてもらって、教えてもらって来た人間も少ないと思う。

僕が場を知ったのはずっと昔だけど、
今のアトリエでの仕事、特に土、日曜日の絵の時間に絞って考えてみても、
多くの時間を経験して来た。
一つの現場が2時間くらいで、その中にぎゅっと凝縮されている。

制作の場がすべてと言っても、
仕事としては他のことの方が生活のたいはんで、
その比率はどんどん場の方が少なくなっている。

それでも一番大切にして来たのはいつだって、その2時間だった。

大雑把に計算しても2000回を超える場に立って来た。

場に導かれる。作家達に教えられる。
見せてもらう。透明になって良い仕事が出来る時。
みんなと遥かな高みまで上って行くとき。
無数の奇跡を目の前にして来たし、体験し得ないようなものを体験して来た。
こんなにまでというほど、もらったものもある。
とことんやって来なければ見えない世界と言うのもある。
正確で的確な点を打ち続ける作業を続けた時期もあったし、
深く潜ることに注意点を注いだこともあった。
遥か高みを垣間見ることもあった。輝かしい場の後は放心してしまったり、
もうこれ以上行けない、これ以上は無理だと思ったり。
でも、良くても悪くても次の場までにはすべてを捨てて、
また最初から始めて来た。

答えはない。正解もゴールも存在しない。

ただ、作家達は凄いし、
その凄さもどこまで見せてもらえるかはこちら次第だ。

この世界にもっともっと素晴らしいものがあるということ。
次元が違うものがあるということ。
そこまで行くことが出来るということが分かったら、そこに賭けて行く。

場に入る時間はすでに以前の半分になっているけれど、
離れたことで見えて来ることも多く、それがまた場に反映されたりもする。
そしてこれまで見て来たもの、経験して来たもの、
そういった世界は作品をすら超えているし、
一人一人と僕達との大切な大切な共有財産なのだと思っている。
その世界をどんな風に使って行くのか、また伝えて行くのか、
今の僕にはまだ手をつけられない深い領域で、
見てしまったものにどうやって追いつき、人と分かち合う形をつくるか。
今後、模索して行くことも多いだろう。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。