昨日は思いのほか深い場になった。
理想とする形とは違うけれど、結果は素晴らしかった。
だから理想だけではダメで、場の流れに従うべきなのだが、
かといって理想のイメージを全く持たないのもいけない。
場と言うものは無限だとつくづく思う。
場が存在するからこそ、一人一人の奥深いものが浮き上がってくる。
これだけ多くのものを見せてもらって、教えてもらって来た人間も少ないと思う。
僕が場を知ったのはずっと昔だけど、
今のアトリエでの仕事、特に土、日曜日の絵の時間に絞って考えてみても、
多くの時間を経験して来た。
一つの現場が2時間くらいで、その中にぎゅっと凝縮されている。
制作の場がすべてと言っても、
仕事としては他のことの方が生活のたいはんで、
その比率はどんどん場の方が少なくなっている。
それでも一番大切にして来たのはいつだって、その2時間だった。
大雑把に計算しても2000回を超える場に立って来た。
場に導かれる。作家達に教えられる。
見せてもらう。透明になって良い仕事が出来る時。
みんなと遥かな高みまで上って行くとき。
無数の奇跡を目の前にして来たし、体験し得ないようなものを体験して来た。
こんなにまでというほど、もらったものもある。
とことんやって来なければ見えない世界と言うのもある。
正確で的確な点を打ち続ける作業を続けた時期もあったし、
深く潜ることに注意点を注いだこともあった。
遥か高みを垣間見ることもあった。輝かしい場の後は放心してしまったり、
もうこれ以上行けない、これ以上は無理だと思ったり。
でも、良くても悪くても次の場までにはすべてを捨てて、
また最初から始めて来た。
答えはない。正解もゴールも存在しない。
ただ、作家達は凄いし、
その凄さもどこまで見せてもらえるかはこちら次第だ。
この世界にもっともっと素晴らしいものがあるということ。
次元が違うものがあるということ。
そこまで行くことが出来るということが分かったら、そこに賭けて行く。
場に入る時間はすでに以前の半分になっているけれど、
離れたことで見えて来ることも多く、それがまた場に反映されたりもする。
そしてこれまで見て来たもの、経験して来たもの、
そういった世界は作品をすら超えているし、
一人一人と僕達との大切な大切な共有財産なのだと思っている。
その世界をどんな風に使って行くのか、また伝えて行くのか、
今の僕にはまだ手をつけられない深い領域で、
見てしまったものにどうやって追いつき、人と分かち合う形をつくるか。
今後、模索して行くことも多いだろう。