2013年10月5日土曜日

場の意味

肌寒くなってきて、今日は雨だ。
しばらくブログの更新が出来なかった。

東京アトリエはいくつか大きめの仕事が始まっている。
これで年末にかけては忙しくなる。

一ヶ月か二ヶ月に一度はゆうたに会うようにしている。

ゆうたの成長を書いて行くといっぱいになってしまうくらい、
今回も変化を沢山、見ることが出来た。

その時、その時がかけがえのない時間だ。

「海、大きいねえー」「いっぱい」「これとー、これとー」「大丈夫!」
「あじー、しゃけー」「これ、うーちゃんの」「パパここ、ママここ」
「こいちわー」「でんしゃんカンカン」

ゆうたの言葉。やさしい声とやわらかい手。

東京での仕事のリズムもすぐに戻って来る。
一人で居る時、フィッシュマンズの「宇宙 東京 世田谷」を聴いている。

色んな機会に色んな場所に行く。
色んな組織やお店と出会う。色んな空間に身を置く。
そんな中で、ここは良いなあ、落ち着くなあ、
とかここへ来るとインスピレーションが湧くなあ、という場がある。

僕達の場もそのように、人に自分に帰ることが出来る空間でありたい。

なんとなく、良い感じ、良い雰囲気、という感覚を人は感じる。
このなんとなく、
は実はかなり自覚的に一生懸命創る人がいなければ発生しない。

場を持ち、守り、維持することに強い責任を感じる。
ここがあって良かった、ここに救われた、そんなことを言ってもらうこともある。

誰かが必要としてくれているから、ここが存在している。
それなくしてはただの自己満足に終わる。
社会に、人に、必要とされる場であることを忘れてはならない。

三重にいる時だったか、ふとした瞬間に自然の大きさに圧倒された。
海と空がわっと迫ってきて、ここにいる、ということが強く自覚された。
僕はその場にいながら、その情景をどこか遠い場所から思い出しているようだった。

いつでもすぐそこに永遠が顔をのぞかせている。
自然は大きい。僕達はあまりにちっぽけだ。
これまでの自分や出来事が相対化されて、
そんなことはどうでも良いように思える瞬間。
ただ、この時だけが尊くて、
それを見るために生きてきたのだと感じさせられる瞬間。

僕のような凡人は絶えず高い自覚を保っていられるわけではない。
日常のほとんどの時間はしょうもないことばかり考えて行動している。
小さなことをああでもないこうでもないと。

だからこそ、本当のことを経験したいし、見てみたい。
そして、時々、そのような経験が与えられることがある。

さて、今日も行ってきます。制作の場へ。こころの奥へ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。