2013年10月31日木曜日

醒めて見る夢

秋晴れが続いて嬉しい。
ふと思ったのだけれど、僕ももう少しやわらかくならないかなあ。
以前と比べたらこれでも、大分楽に考えられるようになってきた。
こうあるべき、こうでなくては、が少しは減ったと思う。

真面目だけでは人も自分も疲れてしまう。

みんなで力を合わせれば、誰かが一人で頑張らなくても良くなるだろう。
そんな組織にして行きたい。

先日、よしこと仕事のことで、久しぶりに中身のことを話した。
普段は仕事に関しては具体的なことしか話さない。
彼女は何事も全力だから、子育てに入ってすっかり変わっただろうと思っていたが、
やっぱり真剣度は他の人とは違うな、と思った。
ボンヤリしているようにみせている時もあるけど、本当のところは考え抜いている。

イサもそうだけれど、これから新しいスタッフが加わって行ったとき、
どれだけ真剣な意識を共有出来るかだ。

東京のアトリエもここに通って来てくれている人達をまず第一に考える。
この規模にしては人数も多い。
東京は環境もずいぶん変わったし、
ここよりよっぽど手軽に習い事をするところなどいくらでもある。
行く場所がないから来る、という状況ではない。
大きな団体と比べたら、行き届かないところ、不便なところも多い。
特別な活動をしているので、理解していただかなければならないことも多い。
そんな中でここへ通い続けて下さっている方達がこんなにいる。

ただ看板を下げているだけでは誰も来てはくれない。
マスコミに取り上げられたくらいでは、
来てくれたとしても続けて来ようとは思わないだろう。

なによりも作家本人のこころに直接帰ってくることを大切にしてきたからこそ、
そこをご理解いただけているものと信じている。

一人一人のこころと感性という、とてもとても繊細な領域を扱っている以上は、
教育と一緒でサービス業にはなり得ない。
妥協してはひびくのは当人だ。
考えに共感出来ない方は参加していただく必要はない、という姿勢で進めてきた。
なにも人を拒絶するわけではない。
それくらい信頼関係を作らなければ進められない部分を行っているということだ。

だからこそ、僕達は責任を持って、いつでも真剣に仕事しなければならない。
アトリエの根幹である制作の場において、
僕はいちスタッフとして手を抜いたことは一度もない。

部屋を片付けていて、そろそろCDを売ろうかなと思って見ていた。
数年に一回は処分して必要な物だけにしようと思っている。
それでしばらく聴いていないものを、合間合間に聴いてみていた。
ポリーニのショパンがあって、一応上手いことは誰でも認めるけれど、
好きになれない演奏だったから、ちゃんと聴いてはいなかった。
久しぶりに聴いていたら、まず不思議なことに気がついた。
ポリーニは誰よりも正確無比で非人間的で、情感の伴わない機械的な演奏をする、
というくらいのイメージしかなかったのだが、
何か浮遊感のようなものを感じる演奏で、おやっこんなだったっけ、と思った。
そのうち、これがとてつもない音楽であることに気がついた。
精密機器の向うに何かがある。
音楽はもはやクラシックでもショパンでもなくて、
宇宙にいるような、無重力を浮遊しているような気になってくる。
臨死体験のようでもある。したことはないのだけれど。
そんなわけでポリーニを聴き直す気になった。

ポリーニの演奏にある浮遊感は、僕にとっては馴染み深いものだ。
それはいつもながらに言うのだけど、場に入っている時に時々ある感覚だ。
半覚半睡というのか。
ぼやっとしつつ意識を保つ。緩めつつ、パッと張る瞬間を見極める。

ポリーニの演奏は醒めた夢のようだ、と思った。
夢の中にいるのだけど、意識は醒めている。
夢だと認識すればする程、細かなところまで明晰に見えてくる。
見えるから見続ける、見続けているうちに、どんどんどんどん冴え渡って、
ますます醒めて行く。だけど夢は終わることなく続いている。
だから醒めたままずっと夢を見続けている。

もうちょっと詳しく書いてみたいので、また今度にする。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。