ゆうたは葉っぱを「ぱっぱ」と言う。
自然や動物や電車が大好きなゆうただが、一番好きなのは木と葉っぱだ。
風で葉っぱが揺れているのを飽きもせずずっと見ている。
眼差しは真剣そのものだ。
歩いていても、ぱーとかぱっぱと言うのでゆうたの指差す方向を見ると、
一角にはっぱがあったり、建物の中にプランターが置いてあったりする。
ゆうたと歩いていると、こんな都会の喧噪の中にも沢山の自然を見つける。
というより、どんな場所にいても大きな自然に包まれているようだ。
制作を追う中での話として、自然は外にあるばかりではなく、
私達のこころの中にも自然と同質の原理が動いているということを書いてきた。
僕達はへその緒のように自然や宇宙との繋がりを持ったままだ。
よし子達がもう少しで三重へ帰らなければならないので、
ゆうたの洋服を買いに行った。
それから、ずっと歩いて「ぱっぱ」を追い続けた。
様々な場所で多様な姿のぱっぱに出会った。
まるで森の中にいるようだ。
そして夢の中を歩いているようだ。
こころの奥深くであり、夢の中であり、森を分け入るような感覚で、
ぱっぱを追いかけ、ぱっぱを見つめ、ぱっぱに包まれていた。
この果てしなく広い森の中で、僕達はどこまでも歩いていた。
新緑の緑はひたすら鮮やかだった。
僕達はどんどん小さくなって、大きな大きな木々に囲まれていた。
緑、緑、空に向かって高く高く伸びて行く樹木。
ぱっぱに溢れた世界。
走馬灯のように流れて行く景色。それぞれの時間。
深い森の中。
ぱっぱに語りかけ、ぱっぱに語りかけられる世界は、
制作の場において見える情景と重なっている。
そうやって柔らかな場所でリフレインされる人生。
土の感触が蘇る。
裸足の感覚、裸の感覚。
包まれる時間。
いったいここは何処だろう。
ゆうたと一緒に何処まで来たのだろう。
明日から絵のクラスが3日間ある。
充実した場になるだろう。