今日は風が強い。
これを書きながらも、ゴオーゴオという風の音を聞いている。
昨日の夜からゆうたの調子が悪く、明け方から喘息の発作が強くなった。
熱もあったので今回は風邪が引き金のようだ。
食べられないし、眠れないしで、見ていて本当に可哀想だ。
息も吸えない。
病院で吸入。
眠れないのでじっとしていると景色も変わらないから、
外を指差して「ぐう、いぐう」と出かけたがる。
時々、抱っこで外を歩いて気分転換。
よし子も寝られていないので、出来るだけ休ませる。
でも、こんな時だからなおさらおっぱいから離れない。
今は束の間、2人が寝入っている。
今日はまだ、夜中苦しくなるかもだけど、
大分落ち着いたから明日は少し良くなるだろう。
よし子もお医者さんも経験があるから、良く見極めている。
僕はヒューヒューいっていると心配でしかたない。
僕が心配していると、ゆうたがニッコリ笑って僕の頭をよしよししてくれる。
目を閉じて寝そうになりながら笑いかけてくる。
こんな時でも大人を気遣うやさしい子だ。
自分の苦しみならいくらでも耐え抜く覚悟だけはあるけれど、
ゆうたの辛いのは耐えられない。
ここまで書いて、よし子がお風呂に入りにおきてきたので、
ゆうたの様子を見に行ってきた。
まだ息は苦しそうだけど、ちょっと落ち着いてきた感じだ。
それに少し眠れている。
大丈夫だ。
最近、ますます思う事だ。
こういう文章でも、本当に書きたい事、書くべき事を書いて行きたい。
止まっていたくはない。いつでも歩み続けたい。
今、何をどんな風に語るべきなのか。
現場においても、今、新しく何が見えつつあるのか。
これまでのことは、もういいのだ。
しばらく、音楽を聴いていないが、
音楽を聴かない日々の方が頭に音楽がある。
リズム、リズム、リズム、と繰り返してみる。
日々、見つめているいくつもの現場が過って行く。
大切なのはリズムなのだと、今はまだ上手く言葉にできないのだけれど、
何となくそう思うわけだ。
鼓動、とか律動という言葉もうかぶ。
とにかく、制作の場にも、制作そのものにも、生き方にも、
歩き方にも、リズムというものがあって、
正確なリズムということではなく、本質的なリズムというのがあるはずだ。
あるに決まっている。なければ感じないはずだ。
でも人はリズムを感じる。心地よいリズムや不快なリズムを。
なんと言うか本質的なリズムと言ったけれど、
生命体のリズム、宇宙のリズムのような普遍的なリズム。
そのリズムが全てに通じるのではないだろうか。
リズムをつかめば、良い絵が生まれる。
良い場が整う。良い音楽が奏でられる。
良い生が歩める。
リズムに乗って行けば良い仕事ができる。
呼吸や間合いというものは言葉にできないし、説明も出来ない。
でも、それこそが何をするにしても最も肝になることだ。
間を見極められなければ、良い動きは出来ない。
良い仕事も、良い恋愛も出来ない。
良い家族を作ることも出来ないだろう。
人の呼吸や、自然の鼓動を感じとれなければ、
生命として生きていくことが出来なくなる。
この世界がどうやって生まれたのか分からないが、
例えばビックバンと呼ばれる爆発があって、
そこから様々な要素が生まれてきたとして、それは一つの音楽であり、
リズムであると捉えることが可能だろう。
自分自身の内側に自然のリズム、宇宙のリズムがある。
こころの奥に潜ること、場に入り、一人一人の内面を掘り起こして行く、
ということは個を極めるということだけど、
個をどこまでも深く見て行くと、必ず自然や宇宙に辿り着く。
こころをこころたらしめている働きが、
自然を自然たらしめ、宇宙を宇宙たらしめている働きであって、
それを大きなリズムと言ってもいい。
自分のリズムをみつけられれば、宇宙のリズムをみつけられる。
そうしたとき、本当の意味で響き合うことが出来る。
僕の言う場も制作も、やさしさや愛情も、人や社会や美も、
みんなそこを目指している訳だ。
アトリエの作家たちが描く作品から良質のリズムを感じて欲しい。
アトリエの場からリズムを聴いて欲しい。
リズムを感じとって良い生き方をして欲しい。