2015年2月13日金曜日

場と音楽

今日はこれからお一人だけお会いする人がいる。

ちょっとだけ音楽について書いてみたい。

音楽と場には深い共通性がある。
そして音楽は最も原始的で直接的な芸術だと思う。
もっと言うならこの世界や宇宙すらが音楽と同じように出来ていると思う。

スタッフが場に立つ時、「場」というものがどんなものなのか、
知っているかどうかが大切だ。
個人としてのスタッフの資質としては情景を描くことが出来ること、
それから音楽的であることが必要だと思っている。

情景を描くには、沢山の情景を自分の中にもっていなければならない。
これは一言で言えば、どれだけしっかりと生きて来たのか、その経験にかかっている。
中でも奇麗なものに触れた経験と、大切にされたり、愛されたりして来た経験。
僕らにとっては一つの場面や一つの記憶や、
一つのイメージが命を繋いでくれることすらある、宝物のようなものだ。

音楽的であることは、ここで何度かリズムやテンポの問題として書いた。
さらには即興的に創られて、消えて行くプロセスにある快、
不快の感覚が磨かれていることが大切。
一定の答えは無いけれど、何でも良い訳ではなく、その瞬間の答えを見つけること。

日常的にも本当にたくさんの音楽を聴いて来た。
音楽が好きだと言うと、どんな音楽を聴くのか、と質問される。
これが一番困る。僕にとって音楽は生き物で、その時にしか存在しないものだ。
聴くものも、聴き方も日に日に変化する。

この辺りも場と全く同じだ。

イサからもらった音楽に衝撃をうけた。
それから一週間が経った。
未だに鮮烈にイメージが残っている。

ジョンフェイヒイの「リヴァーズアンドリリジョン」はここ2年くらい、
何度も繰り返し聴いて来た。
この音楽が存在しない2年間は想像ができない。

身にしみる音楽について、また改めて書くことにするが、
今日は2つだけにしよう。

ボブディランの新しいアルバムが素晴らしい。
全曲フランクシナトラを歌っている。
当たり外れの大きい人だけど、やっぱりこの人は天才だ。
僕と同じ誕生日、5月24日(だからなんだ)

そして最近聴いた高橋竹山(初代)の三味線独奏には度肝を抜かれた。
凄すぎる。
これまで聴いていた竹山と全く印象が違う。
まさしく魂の音だ。音にならないものが音に宿っている。

そういえばグールドも若い頃の音源が出回ってからは、
スタジオ録音のものが聴く気がしなくなるくらい新鮮だった。

竹山を聴いたら、竹山の音のような構えで場に立ちたいと思う。
本当に学ぶことが多い。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。