まずはお知らせです。
今年もフラボアさんとの企画で、
アトリエの作家達の作品がデザインに使用されております。
コラボアイテムの発売が8月8日となります。
合わせてフラボア中目黒店にて、原画の展示を行います。
展示期間は8月8日〜9月27日となります。
デザインの雰囲気と合わせて、
作品の選定と展示はデザイナーの佐々木春樹さんが行っております。
これまで展覧会等に出ていない作品が数点あります。
この機会にご覧頂きたいと思います。
10点の小さな展示ですが、かなり良い作品が選ばれています。
アトリエの作品を何度もご覧になっている方でも、
おお、こういうのもあるのか、と感じて頂けるかも知れません。
東京アトリエは現在、夏の制作期間中です。
毎日、本当に純度の高い作品が生まれています。
ここ数日も最高の現場があって、
ここだけ別世界のようだと感じていた。
本当にそれは作家もスタッフも共有している実感で、
色々あるけど、この時間があるしな、とみんなで感じられる喜び。
現実逃避や誤摩化しではない、本当の意味での輝きをこの場で実現して行く。
人に肯定的な感情を与えること、幸せを噛み締められること、
そういうもの以外は信じない。
深い実感を持っての幸せとは、深く入って行かなければ得られないものだと思う。
その場にいることには強いリアリティーや迫力が無ければならない。
そうでなければその場で誰も信じないだろう。
何度も書いて来たが命懸けでなければ、人は輝かない。
缶詰の魚の油と醤油の汁。
あれを呑むと何と言うか、幸せな気分になる。
子供の頃、水商売をしていた母が3時とか4時に帰って来て、
一緒に缶詰を何度か食べたことがあった。
親子としての感情はあんまり強く持てないまま大人になってしまったけれど、
あの時間は今となっては大切な感触を残している。
何かあたたかい感じ。
小さい頃は、大人の感情から距離を置くことで身を守って来た部分もある。
兄とだったか、妹とだったか、母が一緒に居て、
魚を食べていて、食べ終わると、目を瞑って、と母が言う。
今から魔法をかけるから、と。
目を開けると食べてしまったはずの魚がまた出来ている。
片面を食べてまた片面を裏っ返したのだ。
僕はそれを見ていて、素直だったから、魔法をかければいくらでも食べられる、
と思ってしまった。それにいつでもお腹がすいていたから。
「もう一回、魔法使ってよ。」そう言った瞬間だった。
母の怒鳴り声が響いた。裏っ返しただけに決まっているでしょ、
そんなに食べるものがある訳無いでしょ、と。
あの頃は母も切羽詰まった生活で不安定だったのだろう。
まだ父が金沢にいた頃、離婚していたので家は違うところにあった。
大きな赤い石のネックレスがあって、
母は僕に楽しそうにそれを見せてくれて、これがルビーなんだと言った。
この時も僕は何の悪気も無く、父のところへ遊びに行って、
母がルビーを持っていると話すと「なんなのはガラス玉に決まっているじゃないか」
と父に言われたのだ。
バカだなあと思うのだがそこでも僕はまた悪気なしに、
母に「あれ、ガラス玉だってね」と言ってしまった。
ここでも怒鳴り声が響き、何度かそんなことあって、
僕は大人に何か言う時はよほど気をつけるようになった。
今となっては懐かしい。
良いことなんて何も無かったはずなのに、
それに別にそんなことも何も傷にもならなかったくらいに、
家族のことなんか、故郷のことなんか、どうだって良かったのに。
ふとした時に、缶詰の記憶が甦って来たりする。
案外あたたかい時間もあったのではないか、とか。
僕にとっては全ての時間が大切な記憶だ。
どんなにどん底にいようと、不幸や悲しみを見ていようと、
そんな全てを、もっともっと奥にある輝きが肯定してくれる。
そういうことを教えてくれたのが場だったと思う。
だから場に立つということがどれほど幸せなことなのか、知っている。
その場に居る人、いや居てくれる人が、その瞬間、笑ってくれる、
もっと深いところから、喜びを感じてくれる、
みんながそういうものを共有出来る、それが場なのだと思う。
一つの場が成立していることは奇跡のようなものだ。
僕達は大切に大切にその場に立つ。
いつまでも一人一人のあたたかい記憶に繋がるように。
そこで見た景色によって、他の何もかもが肯定出来るように、
いつかは全てが掛け替えのない輝きを持って、
そこに在ることに気がつくように。
生命や創造性の深淵が覗けるように。
せっかく生まれて来たのだから。
どんなに酷い時代の醜い現実が迫って来ても、
僕達はこの景色を忘れてはならない。思い出そう。
人間は本来、こんなに輝いているのだということを。