2014年11月8日土曜日

大切な時間

三重へ行く前なので東京の諸々の用事を終わらせています。
このブログもしばらくお休みさせて頂きます。
書けば書くことも出来るのですが、
少し時間を置いて内容を深めた方が良いと思って、
東京にいる間だけという形にしています。

急きょ、最近の作品を少し出しておかなければいけなくなって、
たくさん見ていたのだけど、2時間くらい集中していただけで足や腰が痛い。
立ちっぱなしが疲れるみたいだ。
今まではどうってことなかったのだけど。

この土、日はしっかりと挑んで行きたい。
これまでは責任感の方がどちらかと言うと強かったけど、
ここ最近は場に立てる幸せを感じている。
有り難いことだなあ、と。
思えば本当に僕にはこれしか無いのだし。
それを必要としてくれる人がいることは、
自分が存在していて良いと言われていることでもある。

感謝と同時にしっかりやって行かなければ、という思いだ。

ずっと聴き続けているピグミーの人達の音楽が頭を、身体を駆け巡っている。
途方にくれるくらいに素晴らしい。
全身の細胞が目覚めだし、活動しだし、喜んでいる。

こころも身体もあの世界を知っている。どこか記憶に響くものがある。

歌はどこから始まるのか、何人かが同時に、あるいは誰か一人が、
その声に重ねて他の人が歌う。更にまた別の声が加わる。
何層にも何層にも。
それぞれの声があちこちから重なって行く。
無限に折り重なった声が、空間を揺らし場が立ち上がる。
奥行き立体感、そしてここであり彼方であるという独自の空間の感覚。
今この瞬間であり、遥か昔であると言う独自の時間感覚。
途轍もなく遠くからであり、この場の生々しさでもあるという独自の距離感。
場は歪みうねり、動き出す。
海のようでも森のようでもあり、そのどちらでもある。
騒々しいがまたどこまでも静けさが漂っている。

一人一人は自分のいるべき場所を把握している。
声を聴き、全体を認識し、自分のいるべき場所を見つける。
呼びかけに答える。
それぞれが投げかけ、投げ返す。
場はもう一つの身体でもある。
一人一人は場と言う身体の細胞の一つだ。

僕達も日々、場に入る時、このようにお互いの声を聴き、お互いの声を活かす。
奥行きが生まれ、全体が生まれる。
やがて無限が顔をだす。
僕達は包まれ、どこまでも安らかになる。
その時、僕達は一人一人の個人ではなく、場の一部として、
場が自分を活かしてくれる。
そこでそれぞれが一番深く繋がることが出来る。
だから、場を離れても僕達は他人ではなくなる。

感じ合うこと。響き合うことこそが愛情の本当の表現だと思っている。
それは一緒に音楽を奏でるようなもの。
ピグミーの人達の音楽はそれを最も理想の形で示している。

一種類の音ではなくて、たくさんの音があればあるほど、
重なったときの気持ち良さは高まって行く。

僕達の普段の場でも出来るだけ多くのことを認識していることが大切だ。
しっかり見ていること。しっかり聴いていること。
しっかり感じていること。
すべては今この瞬間にしかないのだから。
どんなものでも大切にしなければならない。

今年も制作の場はあと数回しかない。
大切にしていきたい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。