2014年11月5日水曜日

タルコフスキー

次の土日のアトリエが終わったらまた三重へ行って来ます。
今回も少し長くなりますが宜しくお願いします。

ご見学のご希望について、出来るだけ対応させて頂きましたが、
どうしてもお待ち頂いているままになっている皆さん、
本当に申し訳ない気持ちですが、年内の対応が難しいかも知れません。
12月の後半に佐久間が帰って来てから、少しでも調整させて頂くつもりですが。

12月は年末は居なければならないので、
1週、2週は関川君ゆきこさんで、3週、4週が佐久間となります。

さて、今週は人に会うことが多かった。
場に関してはその時間以外はすっかり別人になってしまうのが僕。
場を離れたらもう何もかも忘れてしまって、
また場に入ったら繋がりきる、という日々を送って来た。
そして、そうあるべきだと思って来た。
でも、最近はまたちょっと違っている。
場を離れても気持ちは場に残ったままのことがある。
深く入ったまま、抜け殻のようにぼーっとしてしまうこともある。

ちょっとそういうのがあっても良いかなとも思っている。
日常生活にはそんなに支障もないし。

僕の言う場は特殊なものなのだけど、ずっと付き合って来て、
やっぱり普遍的な部分があったり、
どんな人にとっても根源的なことなのではないかと思う。

場に入っているの時の感じは説明出来ないけれど、
タルコフスキー監督の映画の世界とにていると言ってみてもいい。
だから僕にとってタルコフスキーは単に好きな映画監督ではなくて、
特別な存在だ。
感謝さえしている。

タルコフスキーの映画を見てもらえれば、場の感覚がイメージ出来ると思う。

タルコフスキーは難解だと言われているが、誤解だと思う。
むしろシンプルすぎて人がつい深読みしてしまうのだと思う。
全て何かの例えや暗示ではなくて、直接的なイメージだと捉えると、
とても分かりやすい世界ですらある。
心の奥で映る世界がそのまま描かれているだけだと僕には思える。

その中でも最も正面から本質に迫ったのは「ストーカー」だろう。
その「ストーカー」が恐らく最も人気がない。

この映画は更に僕にとってはあまりにも場や自分の人生と重なる。
単純に言ってしまえば、ゾーンという場所に人を連れて行く案内人がストーカー。
ゾーンは謎で危険視もされていて立ち入り禁止になっていて、
入ると法律で裁かれたりもする。
ゾーンを心の奥にある場所と言ってしまえば、これはそのままの話だ。
心の奥の場所は危険でもあるし、ある意味で国家や制度で禁じられてもいる。
もっと言えば自分自身でも禁じていたりする。
案内人はそこへ人を連れて行く。

あまりにシンプルな話だ。

映画に感動しても、感情移入しても、そこに自分を見ることはないが、
「ストーカー」だけは別で、自分を見ているみたいな気になってしまう。

それはともかくとしても、移動しながらゾーンに入って行く場面が本当に凄い。
圧倒的だし美しいし、途轍もなく深い。
映像の素晴らしさはタルコフスキーの全作品に共通している。

こういう作品が最近レンタルビデオの店になかったりする。
とんでもない。
そういえば「かくも長き不在」という素晴らしい映画も、
どこへ行っても見られなくなっている。
やっぱりこういうのは何とかした方が良いだろう。
本でも音楽でも同じことが起きている。

「ストーカー」は僕にとって、
フェリーニの「甘い生活」、小津安二郎の「晩春」、
ビスコンティの「山猫」と並んで最も好きな映画だ。
この中で一番は選べないけど。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。