次の土日のアトリエが終わったらまた三重へ行って来ます。
今回も少し長くなりますが宜しくお願いします。
ご見学のご希望について、出来るだけ対応させて頂きましたが、
どうしてもお待ち頂いているままになっている皆さん、
本当に申し訳ない気持ちですが、年内の対応が難しいかも知れません。
12月の後半に佐久間が帰って来てから、少しでも調整させて頂くつもりですが。
12月は年末は居なければならないので、
1週、2週は関川君ゆきこさんで、3週、4週が佐久間となります。
さて、今週は人に会うことが多かった。
場に関してはその時間以外はすっかり別人になってしまうのが僕。
場を離れたらもう何もかも忘れてしまって、
また場に入ったら繋がりきる、という日々を送って来た。
そして、そうあるべきだと思って来た。
でも、最近はまたちょっと違っている。
場を離れても気持ちは場に残ったままのことがある。
深く入ったまま、抜け殻のようにぼーっとしてしまうこともある。
ちょっとそういうのがあっても良いかなとも思っている。
日常生活にはそんなに支障もないし。
僕の言う場は特殊なものなのだけど、ずっと付き合って来て、
やっぱり普遍的な部分があったり、
どんな人にとっても根源的なことなのではないかと思う。
場に入っているの時の感じは説明出来ないけれど、
タルコフスキー監督の映画の世界とにていると言ってみてもいい。
だから僕にとってタルコフスキーは単に好きな映画監督ではなくて、
特別な存在だ。
感謝さえしている。
タルコフスキーの映画を見てもらえれば、場の感覚がイメージ出来ると思う。
タルコフスキーは難解だと言われているが、誤解だと思う。
むしろシンプルすぎて人がつい深読みしてしまうのだと思う。
全て何かの例えや暗示ではなくて、直接的なイメージだと捉えると、
とても分かりやすい世界ですらある。
心の奥で映る世界がそのまま描かれているだけだと僕には思える。
その中でも最も正面から本質に迫ったのは「ストーカー」だろう。
その「ストーカー」が恐らく最も人気がない。
この映画は更に僕にとってはあまりにも場や自分の人生と重なる。
単純に言ってしまえば、ゾーンという場所に人を連れて行く案内人がストーカー。
ゾーンは謎で危険視もされていて立ち入り禁止になっていて、
入ると法律で裁かれたりもする。
ゾーンを心の奥にある場所と言ってしまえば、これはそのままの話だ。
心の奥の場所は危険でもあるし、ある意味で国家や制度で禁じられてもいる。
もっと言えば自分自身でも禁じていたりする。
案内人はそこへ人を連れて行く。
あまりにシンプルな話だ。
映画に感動しても、感情移入しても、そこに自分を見ることはないが、
「ストーカー」だけは別で、自分を見ているみたいな気になってしまう。
それはともかくとしても、移動しながらゾーンに入って行く場面が本当に凄い。
圧倒的だし美しいし、途轍もなく深い。
映像の素晴らしさはタルコフスキーの全作品に共通している。
こういう作品が最近レンタルビデオの店になかったりする。
とんでもない。
そういえば「かくも長き不在」という素晴らしい映画も、
どこへ行っても見られなくなっている。
やっぱりこういうのは何とかした方が良いだろう。
本でも音楽でも同じことが起きている。
「ストーカー」は僕にとって、
フェリーニの「甘い生活」、小津安二郎の「晩春」、
ビスコンティの「山猫」と並んで最も好きな映画だ。
この中で一番は選べないけど。