2013年7月8日月曜日

片山さん

急に暑くなって、制作するのもみんな一苦労。
でも、場はとても良く穏やかであたたかい。

作品だけ見てみると、やっぱり集中度や密度はやや落ちる。

どんな時でも、天国のような場所の空気感を創ってしまう彼らは凄い。

てる君と話していた。
「くじらは何を食べるんだっけ?」
「おさかなを食べるよ。人も食べる。シャチも食べる。」
「えっ、シャチも食べちゃうんだ」
「そう。カバも食べるよ」

すぐる君は富士山を見てきた言っている。
「富士山は何県?」
「長野県」
「日本一高いんでしょ」
「高いよ」
「標高何メートルくらい?」
「8メートル」

まさひろ君
「買い物はおけがわマインでします。最強のスーパーです。多分。」

今日は僕は打ち合わせに出て来る。

昨日、「別れ」について書いた。
そして、教室中に電話があった。学舎時代の恩師、まことさんからだった。
はるこのお母さんと、あきのお母さんが、あきこさんのお別れ会を開いて下さった。
楽しい会だった。あきこさんの子供達とも遊べて良かった。
家へ帰ってようやく、まことさんに電話をかけ直した。
尊敬する片山達夫さんが亡くなったそうだ。

別れは突然やって来る。
片山さんとの沢山の思い出をぼーっと考えていた。
片山さんが僕達にしてくれたことの大きさ、深さを思って、
感謝してもしきれない。
ほとんど、子供のような時代に出会ったから、ずいぶん甘えさせてもらった。

今はまだ、多くを語る気にはなれない。
こころからご冥福をお祈りします。

片山さんが行ってきたような、仕事や役割を継承出来るような実力はない。
でも、有り難うございましたで終わりという訳にはいかないだろう。

最後に会ったのはもう何年も前だ。
僕は今のアトリエでの仕事の本や資料を渡してきた。
友人から「面白かったと伝えてくれ」と言っていたと聞いた。
たぶん、本当に深く喜んでくれて、応援していてくれたのだろう。
言葉で教えるということをされない方だった。
一緒に居る中であたたかいものを伝える力があった。

僕はこれからしばらく、片山さんを思い出すだろう。
あまりに近過ぎて見えなかったものも見えて来るだろう。
偉大な方だった。その偉大さも今、初めて気がついたのだと思う。
その仕事をゆっくり見つめ、受け継げる部分は僅かでも受け継ぎたい。
少なくとも、あのころ僕達にしてくれた事の10分の1でも、
誰かのためにしていきたい。
多分、今回は思いを巡らす時間が必要だ。

片山さんの死を受け入れ、繋がりを自覚して、次に向かうために。
僕はこういう時はいつも早すぎるくらいに、早く気持ちを切り替えてしまうが、
今回はそれをしない。

大切に大切に、ゆっくり丁寧に生きましょう。
どんなことがあっても、最善を尽くして、みんなの事を思って行ければ、
いつでもやさしい気持ちになれる。
大切な事はそんなに多くはない。そんなに難しくもない。
答えはいつもシンプルだ。
こころをこめること。この時を大切に、人を愛して愛して、
悲しみも切なさも味わい尽くして、全身で感じて、
誰かや何かのために自分を使って行けたら良い。
どんどん深まって、どんどん力強いものになって行くだろう。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。