2013年7月7日日曜日

別れ

急に暑さが激しくなってきた。
この時期は熱中症に要注意。
体力の消耗も激しい。

アトリエの場にしても冬場が一番気を使うけれど、
夏も難しい季節だ。

土曜クラスはお休みが多かったが、静かな制作の時間が流れた。
アトリエが終わって、ハルコとゆっくり歩いた。
新しい道を教えてくれたり、どこの販売機を使っているかと話したり。

これからのこと、今、頂いているお仕事の話を書いて行こうと思っているが、
今日もまだ、その準備が出来ていない。

平日のクラスをボランティアで手伝ってくれていた、
あきこさんは先週が最後だった。
ありがとうございました。

本当に一人一人がかけがえのない存在だと実感する。

あきこさんが居てくれたこと、みんなと時を過ごしてくれたこと、
一緒に場を創ってきたこと、決して忘れることはないだろう。

別れは必ずやって来る。
だからこそ、気持ちをこめて、思いを込めて、一人一人と繋がる。
一緒にいる時間を深く味わう。

かつて、信州の共働学舎にいたころ、
研修に来ていた一人とこんな会話があった。
「ここではいつも別ればかりでしょ。」
「1年に50人以上の人と出会って別れるからね。」
「どうやって気持ちを整理するの。慣れるの。」

僕は最後まで慣れるということはなかった。
それは今でも。

でも、別れるということがあるからこそ、
いずれは離れて行かなければならないからこそ、
この瞬間が輝くのだと思う。
別れから学ぶものは本当に大きい。
10代の頃に多くの別れを経験してきたことで知ったこと、
教えられたことは貴重だと思っている。

死を考えなければ、生が分からないように、
別れを見なければ、出会いというものの奇跡を知ることは出来ない。

僕達が今、ここで一緒に居られることの大切さ。
それを深く実感するためには別れを意識することだ。

僕はいつでも、別れや死を見る。
いつかは離れなければならないし、いつかは立ち去らなければならない。
離れ方、去り方を意識したとき、
人に対して、場に対して、出来事に対しての振る舞いが変わる。

何をすべきなのか、ということもそこから見えて来る。

そっとそこに居て、何かを繋いで、奇麗な流れが生まれて、
何かが起きる。周囲が活き活きと自ら動き出したら、
こちらはそっと立ち去る。
気がつけば流れだけがある。

僕自身は与えられている役割の為に自分のこころも身体も最後まで使って行きたい。
使い終わったとき、静かにそっと消えて行ければ良い
何かと何かの間で、何かと何かを繋ぐために自分が居るのだと思う。

自分は何ものでもなく、何も出来ないという実感は、
いつでも自分を助けてくれる。
自分が小さく、小さくなった時、大きな力、ビジョンが、
見え、聴こえ、こうしなさいと命じて来る。

さて、僕にとってのもう一つの別れを書いておしまいにする。
個人的な話で申し訳ないが。
ずっと飼ってきた犬のジルーと別れた。
三重のアトリエに通う高山さんが引き取って下さることになった。
大切に育てて下さる方が居た事に感謝したい。

理由はいくつかあったのだけど、決断したのはゆうたのアレルギーの数値。
動物の数値が食物よりも強くなっている。
犬が居る時に喘息気味になることも分かった。(勿論それだけが原因ではないが)

ジルーと過ごした日々が懐かしい。
優しくて、ちょっとバカで、好奇心の強い、素直な犬だった。
僕の上にのって寝たり、顔をなめてきたり、
背中を押し付けてきてたり。
いつも一緒だったころ。忙しくてあんまり構ってあげられなかったころ。

一心同体と感じるくらいの強い気持ちもある。

これまで一緒に居られて本当に良かった。
可愛がってもらって、幸せに生きて欲しい。
大袈裟だけど、ジルーに教えられた事は一生忘れない。

ありがとう、ジルー。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。