2015年5月10日日曜日

充実感

今日は良い天気ですね。

昨年から原点である制作の場の充実に力を入れて来た。
そして、確認して行くと本当に取り組んで来ただけ、
返って来ていることに驚かされる。

場も作品も、何処へ出しても恥ずかしくない。

これです、こういうことです、と言い切れるような場になっている。

もうこういうことは言うまい、と思っていたけど、
やっぱり今の社会の動向を見ていて腹立たしいことが多い。

いい加減な人達が制作に関わっている。
真剣に考え、真摯な動機を持って挑む人がいない。

もっと緊張感を持って、行動すべきだ。

僕のところにも沢山連絡が入るので、
今いろんな場所で行われていることは知っている。

はっきり言ってしまうと、関わらない方が良い人や物事がある。
関係と言うことを仕事としてはいけない人も居る。

需要する方にも責任がある。

無駄なこと、害になることを教育と称して教える人達。
意味のないばかりか、こころを消耗させるイベント。
助けてあげたいという無礼な態度。
理解を広めたいと言う奢り。まずあなたはどれほど理解しているのだろうか。

これらの動きがどれだけ、作家達を疲れさせ、気持ちを削いでいるのか、
ほとんどの人は気がつかない。

自分を納得させるために、彼らを巻き込むことはやめてもらいたい。
浮ついて、スケベ根性丸出しで、意味ありそうなところに、
何となく飛び込んで、あっちこっち連れ回されている人達が沢山居る。

やっている方にも、参加している方にも問いたい。
一体、それに何の意味があるのですか。
それが何になるのですか。
マイナスの方なら証明されていますよ。

人を使って何かを主張する人達にも言いたい。
自分でやりなさい。

今、最も必要なことはそれぞれが現場を充実させること。
先生なら教育の場を、保護者の方なら家庭での日常を。
何かを教えている人なら、その場をよりあたたかく安心出来る場にすること。
それをしないで、
外に向かって主張の定まらないイベントを仕掛けてどうするのだろう。

何を大切にしたいのか、もっと足下を見つめてもらいたい。

いつでもそういう人々の、卑しさ、さもしさの犠牲になって、
丸ごと受けて、消耗してしまう人達が居ることを忘れないで欲しい。
よかれと思う行為も時には暴力にすらなるということを。

どんな仕事や家庭や、場所であれ、その場が充実していて、
それぞれが責任を果たしていて、そこに居る人達が響き合えているのなら、
幸せを感じ合えているのであれば、自己顕示欲から生まれるような、
活動に手を出すことはないだろう。
自分が満足出来ていないから、さかしらでやらなくて良いことをしてしまう。
そして何故満足出来ていないかと言うと、向き合わずに逃げているからだ。

今、自分の立っている場所をまず良いものにしていきましょう。
そこで責任を果たして行きましょう。

僕達は場に入って少し時間を過ごせば、作家もスタッフも、
これだよね、もう何も要らないよ、という思いになる。
そういう時間こそが人には必要なのではないでしょうか。

今日も良い場を。

2015年5月9日土曜日

霞んだ空

曇り。
昨日は暑い一日だった。
イサとアトリエで絵の具の缶の取り替えをしていた。

一日だけ信州にも行って来た。
親方のお骨に会いに。

嬉しい再会がいっぱい。
仲間達と語り合える幸せ。

時は流れている。
何もかもが過ぎ去って行く。

仲間達には感謝しかない。

僕は現場に立つ。
他のどんな場所より輝く時間に入るために。

みんなが居てくれたこと、みんなの夢見たことを形にするために。

土、日曜日のアトリエが終わったら、またしばらく三重です。


2015年5月3日日曜日

土、日曜日のアトリエ

今日も暑くなりそうですね。

春はもう行ってしまった。

昨日の場は素晴らしかった。
みんながみんなに答えてくれた。

響き合う、これが場の全て。

ゴールデンウイークで外は何やら騒がしかったりするけれど。
こういう時期のアトリエは良い時が多い。
制作の時間は、騒ぎ回っていたとしても、内面の静けさが引き出されて来る。

青空や海や、そしてもう少し薄い水色。
今は青が奇麗。

午前のクラスでは本当に作家全員が一人で描いているみたいで、
作品を並べても見事に統一されている。
それでいて一人一人の個性はしっかり出ている。

午後は強くなる陽射しとともに、グングン、本当に天国のような。

絵具を作っている時に何気なく、
タチアナニコライエワのザルツブルグでの演奏をかけていた。
こんなに良かったっけ。
最初から最後まで心のこもった音楽だった。
当たり前かも知れないが、人間が演奏しているということを実感させてくれる。
今は人間を感じさせる音楽が少ないからだろう。
最後のところでベートーベンのソナタ32番を弾いている。
これが途轍もなく素晴らしい。
もともと好きな曲ではあるけれど、ニコライエワは良い。
2楽章、アリエッタ、深く慈しむ眼差し。
自然に涙を誘う。でも、その先がある。
遠くの方からこの世のものとは思えない光が差して来る。
これだ。ベートーベンはやっぱり凄いと思うし、
ニコライエワの誠実さと一音一音を大切にするあたたかさに感動する。

こんな場面が見えて来なければならない。
こういう景色を見なければならない。

緑の葉っぱに日が射している。
緑と言う色を持っているのに、それはどこまでも透明。

生きて動いていて、そして透き通るような場でなければ。

さて、今日も楽しみましょう。

2015年5月1日金曜日

楽しい時間

明日からまた深い時間の中へ入ります。

久しぶりに仲間達に会って来た。

くにちゃん、えのきどさん、みずほさん。
みんな変わってないなあ。
かつて多くの人が言ってくれた、みんなと居る時の佐久間は良いという言葉。
本当だなあ、としみじみ感じていた。

5年も10年も会っていなくても、一瞬で一つになる。
周りに居た人にはいつも一緒に居ないんですか、と驚かれたり、
知り尽くしていますね、と感心されたり。

今だから言えることだけど、やっぱり佐久間は特別な存在だし、
違う時間を創ることが出来る。
そして、何より、みんなが佐久間になら見せてあげようと思ってくれる。

僕がみんなに見ているものは特別だから。

みんなのことが大好きだから。
本当はただそれだけなのだけど。

僕とくにちゃん達が遊んでいる場面を、
微笑ましく見守る人達に囲まれた。

場とは見ている人をも幸せにするものでなければならない。

いなくなってしまった沢山の人が、
僕のいる場をどれだけ楽しんでくれたのか、思い出す。
喜んでくれる人が居たからやってきた。
喜んでくれた人が僕に何をすべきなのか教えてくれた。

ずっとそれだけを続けて来た。
今でもみんなが喜んでくれる。
良い人生だ。

昨日は纏まりに欠けることを承知の上で未整理な想いを書いた。
本当はしっかりとしたことを書くべきだが、
あれで良いと思っている。愛情や悲しみを素直に表せばそれで良い。
今日、かつての仲間達と過ごす時間の中で、
答えを出して行く自分を見た。
過去の時間に対して、親方への感謝に対して、
様々な想いに対しての答え。自分に向けての答えでもある。
美しい情景を描くこと。瞬間を輝かせること。
愛し愛されること。
今この瞬間に実行して形に出来ること。
出来るのなら、やり続けなさいと、場が言っている。

明日も全力で行きます。
一回の場も疎かにしない覚悟です。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。