2015年10月16日金曜日

やさしくて幸せで切ない時間

次の更新は11月と言いながら、また書き出しています。
今度こそ10月は最後です。

12月でこのブログの区切りをつけるので、
少しでも書ける時は書きたいという思いもあります。

赤ちゃんは元気に育っていて一安心。
やっと抱っこも出来た。
よし子も悠太の時より快復が早いようだ。

退院したら4人での生活が始まる。

11月はラッシュジャパンさんのイベントに参加したり、
明治学院大学で高橋源一郎さんとお話したり、アトリエの来客も多い。
12月は今年も女子美の生徒さんにお話しする。
そして、フラボアさんでの展示くらいのミニ展示も年末に。
ここでもトークを予定しています。
またご案内します。

ここ数日、ゆうたと2人の生活をしている。
後にも先にもこんな時間はもうない。
ゆうたが産まれた後、見える景色がすべて優しい透明な空気に包まれて、
新鮮に見えて来たことが思い出される。

今のこの時間も与えられた大切なもの。

ゆうたが見せてくれたもの。教えてくれたもの。

よし子に育てられて来ただけあって本物志向。
ごっこ遊びをしていても、「このお店は美味しくて油も使っていません」とか、
「ここの温泉は消毒もしていなし卵の良い匂いがします」とか。

僕がチャーハンやカレーで一種類で乗り切ろうとすると、
必ず、これだけ?おかずもっと作ってよ、となる。
豚肉を焦がしてしまったとき、
「ゆるしてあげるよ。一回だけなら次ぎからもうしないなら、許してあげるから」
だって。

掃除をしながら、ご飯を作りながら、ゆたの喘息の薬を準備しながら、
一緒にお風呂に入りながら、ずっと懐かしい感覚に包まれていた。

こんなに幸せな時間がこれまでにあっただろうか。
こんなに穏やかでやさしい気持ちになれたことがあっただろうか。

こんなに幸せなのに、何故こんなに寂しいのだろう。悲しいのだろう。

もう遥か昔、ずっとずっと遠い所であった時間を思い出している様だ。
もうその時間はそこにはない。懐かしい。優しい。

そして生きているなあ、と思う。

よしこが頑張って、喘息の発作を起こしながらも産んでくれた命を思う。

流れて来る放送を聞きながら、ゆうたが急に真剣な顔になって、
「人って何で死ぬん?」と言った。
「死んだらもう食べられんし、何にも見れんの?」
「ゆうたん、死ぬの嫌や」

その純粋な眼差しを見て、涙が出た。

終わらないものは無いんだよ。終わりたくない、もっと見たいもっと聞きたい、
もっと一緒に居たい、もっと生きたい、って思えるために終わりがあるんだよ。
終わりがあるから全ての瞬間が輝く。
だからいっぱいの思いにならなければ。

終わりが無かったら、面白いものも苦痛になる。
美味しいものもずっと食べ続けなければならなかったら辛い。
それが良いものである為には終わりがなければならない。

この幸せな時間も終わって行く。
でも、だからこそ、いつまでも輝いている。

このブログも終わる。終わることでこれまでが分かって来る。

悠太のことが大好きだ。
一生で一番2人が深く繋がっている時間が今かも知れない。
幸せが深い程、だから悲しい。
悲しみが深い程、だから幸せなのかも知れない。

物理的に離れてしまった人達が深いところで、
一緒に居るという感覚は日々強くなる。

最近、はるこがくれるメールには「地下室にみんな居るよ」と書いてある。
だから僕も地下室へ行く時間が増えている。

よし子が帰って来たら、また家族4人での新しい生活。
東京へ行くまであまり時間はないけど、大切にして行こう。

さて、今度こそ、次回11月となります。
またアトリエでは最高の場と時間をみんなと創って行きます。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。