次の更新は11月と言いながら、また書き出しています。
今度こそ10月は最後です。
12月でこのブログの区切りをつけるので、
少しでも書ける時は書きたいという思いもあります。
赤ちゃんは元気に育っていて一安心。
やっと抱っこも出来た。
よし子も悠太の時より快復が早いようだ。
退院したら4人での生活が始まる。
11月はラッシュジャパンさんのイベントに参加したり、
明治学院大学で高橋源一郎さんとお話したり、アトリエの来客も多い。
12月は今年も女子美の生徒さんにお話しする。
そして、フラボアさんでの展示くらいのミニ展示も年末に。
ここでもトークを予定しています。
またご案内します。
ここ数日、ゆうたと2人の生活をしている。
後にも先にもこんな時間はもうない。
ゆうたが産まれた後、見える景色がすべて優しい透明な空気に包まれて、
新鮮に見えて来たことが思い出される。
今のこの時間も与えられた大切なもの。
ゆうたが見せてくれたもの。教えてくれたもの。
よし子に育てられて来ただけあって本物志向。
ごっこ遊びをしていても、「このお店は美味しくて油も使っていません」とか、
「ここの温泉は消毒もしていなし卵の良い匂いがします」とか。
僕がチャーハンやカレーで一種類で乗り切ろうとすると、
必ず、これだけ?おかずもっと作ってよ、となる。
豚肉を焦がしてしまったとき、
「ゆるしてあげるよ。一回だけなら次ぎからもうしないなら、許してあげるから」
だって。
掃除をしながら、ご飯を作りながら、ゆたの喘息の薬を準備しながら、
一緒にお風呂に入りながら、ずっと懐かしい感覚に包まれていた。
こんなに幸せな時間がこれまでにあっただろうか。
こんなに穏やかでやさしい気持ちになれたことがあっただろうか。
こんなに幸せなのに、何故こんなに寂しいのだろう。悲しいのだろう。
もう遥か昔、ずっとずっと遠い所であった時間を思い出している様だ。
もうその時間はそこにはない。懐かしい。優しい。
そして生きているなあ、と思う。
よしこが頑張って、喘息の発作を起こしながらも産んでくれた命を思う。
流れて来る放送を聞きながら、ゆうたが急に真剣な顔になって、
「人って何で死ぬん?」と言った。
「死んだらもう食べられんし、何にも見れんの?」
「ゆうたん、死ぬの嫌や」
その純粋な眼差しを見て、涙が出た。
終わらないものは無いんだよ。終わりたくない、もっと見たいもっと聞きたい、
もっと一緒に居たい、もっと生きたい、って思えるために終わりがあるんだよ。
終わりがあるから全ての瞬間が輝く。
だからいっぱいの思いにならなければ。
終わりが無かったら、面白いものも苦痛になる。
美味しいものもずっと食べ続けなければならなかったら辛い。
それが良いものである為には終わりがなければならない。
この幸せな時間も終わって行く。
でも、だからこそ、いつまでも輝いている。
このブログも終わる。終わることでこれまでが分かって来る。
悠太のことが大好きだ。
一生で一番2人が深く繋がっている時間が今かも知れない。
幸せが深い程、だから悲しい。
悲しみが深い程、だから幸せなのかも知れない。
物理的に離れてしまった人達が深いところで、
一緒に居るという感覚は日々強くなる。
最近、はるこがくれるメールには「地下室にみんな居るよ」と書いてある。
だから僕も地下室へ行く時間が増えている。
よし子が帰って来たら、また家族4人での新しい生活。
東京へ行くまであまり時間はないけど、大切にして行こう。
さて、今度こそ、次回11月となります。
またアトリエでは最高の場と時間をみんなと創って行きます。