2013年11月22日金曜日

ここはどこ?

久しぶりのブログだ。
熱心に読んで下さっている方達がいて本当に有り難い。
伝えると言う仕事をこれからも大切にしていきたいと思う。
なにせ、核心はこんなところくらいにしか書けない。
取材や何かは自分たちが使えそうなものだけしか伝えないから。
そして世の中のそういった動きは本質から逸れて行くいっぽうな気がする。
一人一人の生き方や興味も、根源から遠ざかり、本質から逸れていくばかり。
虚しくないのかなあ。つまらなくないのかなあ。
人の事は気にしないと言うわけにもいかない。

2週間ほど、よし子と悠太が東京へ来てくれていた。
悠太の誕生日を一緒に過ごす事が出来た。
ご協力いただいた皆様にも感謝です。

とにかく、僕達はまったく未知の領域を追求してきたと思う。
ダウン症の人たちがどのような世界を生きているのか、
というような視点での本質的なアプローチはこれまで全く無理解に曝されてきた。
最近はかなり改善されてきたとは思っていたが、
やっぱりまだまだだと実感する。

こと障害という問題に対しては社会は大分改善されただろう。
オシャレっぽい感じの活動も増えたし、もっともらしくもある。
でも誰も本質的な事には触れようとはしない。
それは、どこかで甘く見ているからだ。
自分が変わりたくないからだ。自分たちの価値観が覆されたくないからだ。

僕自身も確かに伝えるということを強調してきた。
でも、これは勧誘でも布教活動でもない。
沢山の人に広げさえすればよいとする考えにも反対だ。
理解は正しくなければ意味がない。
誤った理解で数だけ増やしても弊害があるのみだ。

だから、あえて言いたい。
何の為にこの場があるのか。
ここはダウン症の人たちの本質である、人間の根源的力を追求する場であり、
彼らの良い部分を引き出し、守るばであり、また積極的に彼らから学ぶ場だ。
彼らに何を見るかは、こちら次第だ。
変わらなければならないのは私達なのだ。
従来のアプローチを続けたい方は続ければ良い。
福祉的なアプローチでの仕事が来る度に思うのは、
ここじゃなくても良いだろう、ということだ。
代わりは沢山あるだろう。

この何年かでかなり色んな場で話したり、伝えたりしてきたが、
僕自身はダウン症の人たちと一緒に見てきた事の入り口すらまだ語ってはいない。

時間がない、みたいな事はあんまり言いたくはないけれど、
もっと本質に向かおうよ、と思うのだ。

仲間達にも言い合って行きたい。もっと先へ行こうよ、と。

作品は凄いし、制作の場は奥深い。
もっともっと入って行くべきだ。

世俗的な次元の事はどうでも良いではないか。
地位や名誉やお金が欲しい人は、追いかけて行けば良いけれど、
ここの場とは無縁な事は確かだ。

ずっとこの場を続けてきて、いつでももっともっとと先を見てきた。
場に入るいじょうは奥深くまで行きたい。
もっと深く潜ること。もっと奥の奥まで見ること。
どこまでも行くこと。

深く深く、もっと深く。
その更に奥に宝物がある。人間の根源にある何ものかが。
一度行ったら終わりではない。また次も行く。

悠太とたくさん散歩して、疲れたのか「あっこ、あっこ」と言う悠太を抱っこして、
暗くなって行く商店街を歩いていた。
悠太はずっと話している。ニコニコ笑って。
「音ー、するねー。うえかなあー、したかなあー、どこかなあー」
楽しそうにリズムをつけて歌うように、くりかえす。
何度も何度も。
「上かなあー、下かなあー、何処かなあー」
うえかな、しなかな、どこかなー、何度もリフレインされる言葉を聞きながら、
歩き続けた。2人で暗くなって行く空間を真っすぐ進んで行く。
ここは本当に何処なのだろう。
上なのか下なのか。
不思議な夢でも現実でもない場所にいるような気がしてくる。
もっと行こう。もっと何処までも行こう。
うえかなあー、したかなあー、どこかなあー。

ずっと、ずっと奥まで行って、何にもなくなるところまで行って、
そうするとそこは何処でもないどこかで、
そこにはすべてがあって、上も下も、右も左も、前も後ろもない。
僕も悠太もいなくて、ただ名付けようのない無限だけがそこで息をしている。

絵の世界もこころの深くで経験する世界も、
人間のもっとも深いところにある経験は一つだ。
制作の場はそこまで潜って自由になって帰って来る為にこそある。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。